【ローカリゼーションマップ】欧州ブランドは「古臭い」のか 多文化主義の波が問う「西洋的価値観」

2019.8.23 07:00

 この十数年間、欧州のラグジュアリーブランドは「古臭い」と見られるところがあった。

 1つには、ブランドが新興国の成金市場で成立していることがはっきりしたからである。2つには、欧州の「西洋的価値観」の行き詰まりに対する冷淡な視線のせいだ。

 特に2つ目の点は、多文化主義が新しい道であり、人種・性・宗教など従来の枠組みを超えた社会をつくることが先端だとの認識と関係する。実際、欧州は多くの違った移民を受け入れてきたがゆえに、その先端社会モデルとも考えられ、欧州にこそ新しいライフスタイルの起点があるとみられてきた。

 ぼく自身もそう思ってきた。やっかいな問題がたくさんあるから、欧州には次の時代を担う知の宝庫であると思ってきた。

 ただ、英国人ジャーナリストであるダグラス・マレー『西洋の自死-移民・アイデンティティ・イスラム』を読み、多くの示唆を得られたなか、次の文章で、置き忘れてきた、いや置き忘れてしまおうとぼく自身が思っていたことに気がついた。

 「欧州の未来はおおむね、この地に受け継がれてきた教会の建物や、偉大な文化的建造物に対する我々の態度で決まるだろうと。果たして我々がそれらと敵対するのか、憎悪するのか、無視するのか、つながりを保つのか、はたまた尊び続けるのかという疑問に関しては、多分に状況次第ということになろう。

<中略>

我が社会を特徴づけるのはもっぱらバーとナイトクラブ、放縦と権利意識だと語るような社会は、深い根を持つとは言えず、生き残る可能性は低い。一方、我が社会は大聖堂や劇場、スタジアムやショッピングモール、そしてシェイクスピアからなると考える社会には一定の可能性がある。」

 欧州文化の特徴であり続けてきたキリスト教文化の共有とハイカルチャーへの敬意、これらの2つの凋落シーンをどう見るか?である。

 この10年間でも、前述の2つの要素は急劇に重きを失っている。ぼくが2008年、『ヨーロッパの目 日本の目』を書いたとき、これらの要素は欧州文化を語るに、まだまだ「生きていた」。しかしながら、その後、これらの前提を覆すケースに多く出会い続けることになった。

 だいたいにおいて、オペラ劇場であれコンサートホールであれ、演目にある曲は外国人観光客向けに「聞き慣れた馴染みのある」ものばかりだ。かつてスカラ座の聴衆は出来に煩いと言われたような評判を、今まともに聞く人などいないだろう。

 「これは仕方ない現象なのかもしれない」と感じることが多々あり、かつての欧州文化は懐古の対象になってしまったのかと諦めかけていた。

 だが、スウェーデンやオーストリアでそう遠くない将来に、若い世代においてはイスラム信者とキリスト信者の数が逆転する勢いである現実を見せられたとき、そしてイスラム教の人たちが必ずしも欧州が長年取り組んできた寛容な考え方に賛意を表していないと知ったとき、日本人のぼくもふと立ち止まらざるをえない。

 移民の多いミラノにおいて、自分もよく見えていない社会がある。ぼくの息子が幼稚園や小学校のとき、同じクラスにはアフリカや中東の子どもも少なくなかった。しかし、同じ公立ながら中学・高校と進むにつれてクラスはイタリアの子を中心に同質化していく。

 そして、18歳の成人を迎えた息子がイタリア国籍を取りたいと語り始めている。

 ぼくの奥さんも日本人であるが、息子をミラノで生み、現地の学校に通わせてきた以上、言葉も文化もイタリアを第一優先に育ててきた。このような環境にいながら、「日本文化も日本にいる人と同じように学ぶように」と要求するのは酷だ。

 友人も知人も欧州人が殆どである社会で生活しているのだから、息子自身も将来日本で仕事をすることを想定するのではなく、欧州をベースに考えるのが妥当だと確信し、ぼくもそう考えてきた。

 マレーの指摘する「歴史ある建物に対する態度」が、息子の場合、憎悪でないのは明らかに分かっている。少なくても「つながりを保つ」「尊び続ける」のどちらかだろうが、その度合はどんなものなのかが気になりだした。

 およそ30年前、日本の大学時代の友人が欧州に遊びにきた際、「我々のような異邦人は欧州の街の風景を汚してはいけない。そういう意味であまりラフな格好で欧州の街を歩かないようにしている」と彼は話した。

 そのセリフは少々神経過敏ではないかと、30年前に感じた。現在もそう思う。しかし、彼の言わんとするエッセンスの重要性は、より増していることを感じざるを得ない。

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安西洋之(あんざい・ひろゆき)

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モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター

ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。

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