【ローカリゼーションマップ】倫理性に乏しいビジネスへ再考を促す「美」 デザイン文化の聖地が問う

2020.2.21 07:00

 今年もミラノサローネ国際家具見本市が4月21日から開催される。59回目である。そこで2月12日、ミラノのサクロ・クオーレ・カトリック大学でプレス発表が行われた。

 新型コロナウィルスの影響でプレス発表に参加できなかった中国の主要メディアのジャーナリストたちから届いたビデオメッセージが、冒頭に近いパートで紹介された。

 そこには無念さとサローネへの声援があり、これらの声を受けて主催者はこうした事態が世界の分断を生まないように配慮する。とは言うものの、重点市場の人たちの不在がもたらす経済的影響は大きい。よって中国に過度に依存しないビジネスのあり方を探る姿が十分に見てとれる。

 さて本題だ。ぼくがこのプレス発表で注目したのは、ますます「デザイン文化の聖地」を意識した構成を目指している、ということだ。

 ミラノサローネにはマニフェストがあり、次の10のキーワードが並んでいる。括弧の中は、ぼくなりの解釈の要約である。

 「感動」(感動なきところに新しい推進はない)「企業」(具体的なビジネスなき全ては絵空事だ)「品質」(プロダクトライフサイクルが第一)「デザイン」(デザインとは何かを探る存在であり続ける)「ネットワーキング」(枠組みを超えて繋がる場の力)「若者たち」(クリエイティブであろうとする若い世代が世界から集結)「コミュニケーション」(世界への発信者も集まっている)「文化」(時空を超えた意味に接する場)「ミラノ」(郊外の見本市会場と市内イベント会場との有機的つながり)「創意工夫」(意味あるものに到達するために諦めない)

 ここに今回、11番目の言葉として「美」が加わった。うかつにも、「美」がこれまでのキーワードに入っていなかったことを、ぼくは気づいていなかった(「美」が入っていないじゃないか!と文句を言った覚えがない)。だが、この「美」の追加でデザイン文化の聖地化は一段と強化されたと考えた。

 真・美・善は揃うことに意義

 もともとは見本市会場でのインテリア商品の展示にはじまったが、今や市内各所で分野を問わない展示が何百と同時並行で開催され、デザインのイベントとして比類なきパワーをもっている。したがって最近では、「ミラノサローネに出かける」という表現と共に、「ミラノ・デザインウイークに出かける」とのセリフも一般化している。

 以前、家具見本市の主催者は「市内のイベントは我々と別物」との態度をとっていたように見えたが、数年前から自分たちのポジションをより包括的に意識しはじめている。マニフェストはその表れである。

 ただ、イタリア文化において「審美性」や「美意識」が必須項目となっているにも関わらず、マニフェストには「美」が抜けていた。「感動」の源泉であるにも関わらず、である。

 これにはいくつかの想像ができる。

 まずデザインの対象適用拡大や民主化のプロセスにあって、審美性の強調は好ましくないとされてきた。審美眼に劣ると意識する人(「私にはセンスがない」と思う人)にデザインに近寄ってもらうには審美性の位置を下げる、との手法がデザインの普及を目指すコミュニティのなかでは行われてきた。

 しかしながら審美性を軽視したデザインが、「感動」や「ネットワーキング」、あるいは「品質」と断絶を生みやすいことに、一部の人たちは気づき始めている。

 もう一つは「美」が倫理性との関係で問われている、ということを背景にしている。強欲なビジネスは世界のサスティナビリティを阻害する。倫理性に乏しいビジネスへ再考を促すに「美」は必須である。真・美・善はすべて揃うことに意義がある。このような考え方が主流になることを望んでいるのだろう。

 社会のあり方を問う

 ミラノサローネのマニフェストは、実はデザイン文化とは何かを語っている、とぼくは解釈する。デザイン文化は、ビジネスの文脈でデザインを重視するだけでなく、社会のあり方そのものを問うている。その事例がバルト三国のリトアニアにある。

 数か月前に「リトアニアのデザイン史が教える審美性の価値 自由な社会づくりの礎」とのコラムを書いた。旧ソ連下で国民の1人1人が自由に考える習慣を失ったことで、独立以降も新しい社会づくりに苦労している。そのリトアニアで実施されているデザイン文化の構築の試みについて次のように触れた。

 “カウナスでの実験的な数々の試みの結果見えてきたのは、デザイン文化の普及を図ることで、1人1人が「自分自身への自信や信頼」を獲得できたことだ。しかも、このプロセスにおいて、いわゆるデザインのスタイリング(カタチや色)の部分に接することや「デザインを実感できる空間」が鍵であるとの確認もとれた。”

 つまり、ミラノサローネを核にしたミラノ・デザインウィークは、デザイン文化のモデルとして見ることができる。そして、そのモデルとして考えたとき、リトアニアの実験の例を見るように、「美」は鍵となっているのである。

 「イタリア人は美に拘りが強い」とのコピーを表層的に理解していると、デザイン文化の意味が分からないことになる。ミラノサローネのマニフェストを「ああ、宣伝の一つね」と読み飛ばさない神経が求められる。自戒も込めて、だが。

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安西洋之(あんざい・ひろゆき)

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モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター

ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
Twitter:@anzaih
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。

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