【ローカリゼーションマップ】何事もほどほどが良い? スウェーデンに根ざす文化「ローゴン」とは

2021.1.29 06:00

 東京・赤坂見附のホテルニューオータニ内で歯科医院を開業している田北行宏さんという友人がいる。10数年前、彼は都内で友人の結婚披露宴に出席した。同じテーブルに一人だけ日本語が分からない外国人がおり、米国の大学で勉強した田北さんは、彼がどんな人かも知らず、披露宴のスピーチなどを逐次英語で訳してあげた。

 宴がはねた後、その外国人は田北さんに通訳のお礼を述べ、「あなたの夢は何ですか?」と聞いてきた。そこで田北さんは「スウェーデンで外科手術の経験を積むことです」と答える。

 なんと「夢を叶えてあげるから、少々時間をください」との答えが返ってきた。目の前にいる人は歯科インプラントシステムで著名なスウェーデン企業の日本法人社長だったのだ。

 人工の歯を顎骨に埋め込むインプラント治療は1960年代のスウェーデンで最初に有効な治療法としてブレイクスルーを起こし、1980年代になると北米で一気に普及した。田北さんは米国でも学んだインプラント技術をもっと極めたいと20年以上、いつかスウェーデンの病院で自らの技術を高めたいとの希望を抱いていたのだ。だが、それまでスウェーデンに縁がなかった彼には、一歩を踏み出す契機がなかなかなかった。

 それがスウェーデンのインプラント治療分野で1-2位を争うと言われる歯科医師のいる病院で働けるよう、かのスウェーデン人が半年間ほどで手筈を整えてくれたのだ。田北さんはスウェーデンの病院の口腔外科に着任した。その時、看護婦長から真っ先に次の言葉で歓迎される。 

「ドクター田北、ローゴンという言葉を知っている? これは、ほどほどに、という言葉なのよ。ここの国は一隻の船なの。そこであなた一人が自己主張したら船が揺れて、皆が迷惑するのよ。何事もほどほどに。ローゴンという言葉を忘れずにここで過ごしてね」と。

 日常の生活のなかでそう頻繁に聞くわけでもないが、その後、田北さんが焦って何かしようとすると、周囲から「ローゴン」と言われたという。着任の初日、意気込み過ぎていたのだろう、と徐々に様子が分かってきた田北さんは思い返す。 

 ローゴンの語源は「みんなで分け合う」という意味らしい。

 医者と患者の関係に対してもローゴンを適用できると田北さんは感じた。医者は「私が治療できるのは、ここまでだ」と明言し、患者は「それなら、それを受け入れるしかない」とそのまま受け入れようとする。お互いに無理をするのを避ける。または相手に「そこをなんとか」と無理強いしない。

 例えば、患者が自分の口から食事をとれなくなった時、胃から直接栄養を摂取できるようにする「胃ろう」処置をスウェーデンでは一般に行わない。「人生のお終い」の意味合いが生活全体のバランスのなかで判断されている。これも医者と患者の間でのローゴンを勘案した折り合いのつけ方ではないかと田北さんは考える。 

 昨年、パンデミックにおいてスウェーデン政府がロックダウンを極力避けたのも、田北さんはその背景をローゴンの概念から推測したそうだ。

 別の観点からもローゴンをみてみよう。

 スウェーデンはご存知のように社会での平等を優先する社会だ。例えば、医者の収入は85%が税金にとられ、大学を出たばかりの新入社員の給料が4-50%の課税となれば、親子で手取り収入にさほど差が出ない。だから、みんなでお金を出してヨットや別荘を買い、それらをシェアする生活スタイルが定着する。

 しかし、人には欲がある。ステイタスに無欲ということでもない。ローゴンはどう介入してくるのだろうか。

 ある時、クルマ好きの同僚がドイツ製高級車を購入したいと思った。しかし、いきなりそのクルマで職場に乗りつければ周囲から嫉妬される。それだけでなく、近所の人が「脱税行為があるのではないか」と税務署に通報することも懸念される。

 そこで同僚はどうしたか?

 毎日、クルマのカタログをもって同僚1人1人に「これが欲しいだけど、どう思う?」と聞いて回った。それで職場の皆に「それ、いいね」と言われたら、ようやく買ったという。およそ半年を要した。

 スウェーデンの合意形成のアプローチが世界から評価されることがある。このエピソードを聞くとアプローチやメソッドが発達せざるを得ない事情があることが分かる。

 田北さんはローゴンのエッセンスを以下のようにまとめる。

「10人のうち9人がズルをしていい思いをしていたら、1人の正直者が食われてしまいます。逆に9人が正直者であれば、ズルをする残りの1人はコミュニティから叩き出されます。だから、ズルが意味なくなるようにする教育や仕組みが必要なのだと思います」

 ある国の文化を一つのキーワードで理解することはできない。「おもてなし」で日本文化がすべて分かるはずがないと、多くの日本の人は思っているはずだ。ただ、その言葉をフックにして全体像に迫る可能性を高めることはできる。

 ローゴンに対応する「ほどほどに」という表現はどこの国の言葉にもある。日本語にもある。だが、この言葉が今の日本の社会で有効に働いているか? そう問われているような気がして仕方がない。

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安西洋之(あんざい・ひろゆき)

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モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター

ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。

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