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【軍事情勢】拠点攻撃した日本、放棄したフィリピン 中国の邪心に拍車かけた米軍撤退

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【軍事情勢】拠点攻撃した日本、放棄したフィリピン 中国の邪心に拍車かけた米軍撤退

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 そういう言い方もあるのか、と思った。フィリピン外相は4月の記者会見で、開発中の長距離弾道ミサイルなど、米国が警戒する北朝鮮からの脅威について、こう言い放った。

 「米国の防衛を支援する」

 その上、比国内に新たな「米軍基地」を設ける可能性も排除しなかった。7月には比駐米大使が、新基地建設と比米共同使用を協議中だと明言した。外国軍の恒久基地を認めぬ比憲法(1987年制定)の手前、比軍が基地管理を担う苦肉の策だが、事実上の在比米軍基地が復活するか注目される。

 もっとも、外相が心底口に出したかった言葉は「フィリピンの対中国防衛を支援して欲しい」だったはず。素直に言い出せないのは「過去の蛮勇」を、恥じているからに違いない。

 米海軍は92年9月まで、アジア最大のスービック基地を有し第7艦隊が展開。米空軍も在外米軍基地として最大のクラーク基地に91年11月まで、戦闘機部隊を配備していた。

 ところが、米比基地協定(47年締結)の期限切れを控えた91年8月、10年間の期限付きで在比米軍基地存続を認める米比友好協力安全保障条約に両国は調印したにもかかわらず、比上院が批准を拒否した。

 クラーク近くの火山が大噴火(91年6月)。財政赤字に苦しみ軍事費縮減に取り組む米クリントン政権が、復旧費を嫌がった事情はある。しかし、継続を望んだスービックまで返還を余儀なくされた。クラークにしても代替地はあった。そもそも基地協定は、対外防衛目的で比側の希望で結ばれた。

 米軍撤退で中国が邪心

 米軍撤退は中国の邪心に拍車をかけた。フィリピンが領有を主張するミスチーフ礁に95年、比側の抗議を完全に無視し“漁民の避難施設”を建設。あれよという間に飛行場ができ、将兵と対艦・対空火器が配備された。フィリピンが実効支配するスカボロー礁も狙う。周辺の地下資源埋蔵が判明したためだ。比世論は51年調印の米比相互防衛条約を持ち出し、礁からの中国海洋当局公船追い出しを支援しない米軍を批判したが、身勝手と無見識には呆(あき)れる。

 現実を思い知ったフィリピンは99年に米比訪問部隊協定を締結し、比米合同演習を再開。2003年には米国と相互補給協定を結び、11年には比軍装備増強を米側が支援する方針が決まった。

 フィリピンの失敗は、財政事情はあるにせよ海空軍整備を怠ってきた点。海軍の場合、第二次世界大戦(1939~45年)を戦った米英海軍の老朽・軽武装艦のみの保有が続いた。そこで2011年から、米沿岸警備隊の中古巡視船導入が始まる。イタリア製フリゲート購入計画も進めるなど、初めて中国海軍の潜水艦を意識した陣立(じんだて)に舵を切った。ただし05年以降、空軍にジェット戦闘機は皆無。今後も、軽攻撃機導入しか予定されていない。

 安全保障上の国際拠点たる自覚の希薄も、国家を危うくした。スービック/クラーク両基地ともに1975年まで続いたベトナム戦争では重要な出撃拠点で、その後も軍艦・戦闘機への補給・修理に不可欠だった。スービックは既に1884年、スペインが海軍基地として利用。98年、米西戦争に勝った米国も引き継いだ。大東亜戦争開戦直後の1942年には、大日本帝國(こく)陸海軍が占領。クラークと周辺にも多くの飛行場から成る飛行場群を構築した。

 列強戦略の一翼を担(かつ)がされ、特に基地をめぐる比米地位協定の「不公平」は「米国の植民地ではない」と、比国民の反発を招いた側面はある。主権国家の矜恃に目覚めた点は良かった。ただ冷戦終結で、脅威が低下したと錯覚。在比米軍を抑止力として利用する国益まで放棄してしまった。左翼や華僑の世論誘導があったともいわれる。

 猛攻を敢行した帝國海軍

 ところで、開戦の41年12月8日に行われた、帝國海軍の200機近い戦闘機/爆撃機によるクラークと近郊基地への猛攻は、戦史に残る戦振(いくさぶ)りだった。10時間前に帝國海軍が敢行した布哇(ハワイ)沖海戦=真珠湾攻撃を知った米軍は上空警戒を怠らなかったが、偶然にも燃料補給すべく着陸中で、緊急発進した米軍機はことごとく返り討ちに。開戦直後で、錬度(れんど)の高い操縦士が数多(あまた)いた時期。雨霰(あめあられ)の対空砲火の間隙を縫い、地上すれすれで進入し、格納庫内の敵機まで機銃掃射で片付け、再び舞い上がる技量を見せつけた。撃墜・炎上は100機以上を数えた。

 比国内の米航空戦力は6日間でほぼ壊滅。日本兵上陸を成功させた。3カ月後、米極東軍司令官ダグラス・マッカーサー大将(後に元帥/1880~1946年)はたまらず、豪州へと脱出。軍歴は、唯一最大の屈辱に大いに傷つく。日本人を蔑視したマッカーサーは、その後の帝國陸軍航空隊の活躍と併せ「操縦者は(日本の同盟国の)ドイツ人」と信じ、報告まで上げた。

 しかも米軍は、航空母艦艦上機による作戦だと戦後も信じた。だが、真珠湾に空母のほとんどを投入、選択肢は地上航空部隊による制空権獲得のみ。従って、台湾発進の戦爆連合編隊は片道800キロを翔破(しょうは)、渡洋爆撃を敢行した。零(ゼロ)戦の航続距離は当時、群を抜いていた。

 死闘の舞台を日米が支援

 とまれ日米両国は共に、死闘を演じた舞台フィリピンの支援に乗り出した。比大統領は既に支援を始めた米国に加え、海上保安庁の巡視船10隻を供与する日本に関し「安全と主権が脅かされたとき、米日以上に頼りになる友はいない」と公言した。

 比外相に至っては、英紙に「日本が憲法改正し正規の軍隊を持ち、絶え間なく強硬に軍事力を増強する中国に対抗することを強く歓迎する」と断言。比外務省も「自衛隊を格上げし、この地域で自由な軍事行動を採れるようにすべき」と表明した。

 政治・軍事の道具として歴史問題を持ち出しては、世界に“日本の軍国主義化”を喧伝(けんでん)する国は中国と韓国に限られる事実を証明した格好だ。同時に「戦訓」を教えてくれてもいる。

 即(すなわ)ち、沖縄県が安全保障上の国際拠点だとの認識を持つこと。民主国家の軍事的精強性は、情勢いかんで、他の民主国家による尊敬の対象となること。同盟国を頼るばかりで、自ら戦う覚悟と実力を持たぬ国は力の空白を生み、地域全体を危うくすること。

 フィリピンの失敗を、日本は軽蔑できる立場にない。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS

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