ミラノの創作系男子たち

「境界」を自らの智恵で超える デザインの専門家は生き方の“創作系”

安西洋之
安西洋之

 同じ高校の同級生だったわけではない。彼女はミラノに住んでいて、毎夏、バカンスのためにリグーリアにやってきていたのだ。その彼女と夏の間だけでなく時を多く過ごすために、「尻を追った」わけである。

 もともと勉強はできたが、技師である父親は大学への進学を息子に勧めていたわけではない。アレッサンドロは地元で車の修理工になろうと思っていた。女性がきっかけで人生が変わったのである(およそ7年間、つきあいは続いたらしい)。

 自分のやりたいように道を突き進むエピソードには事欠かない。ミラノ工科大学で建築を学び、卒業するには論文の提出が必要である。しかし、彼は卒論を書かずに卒業した。学部で初めてのことだった。模型だけを作り、それを使って口頭である理論を説明し、最高点をとった。 

 秀才タイプの生き方とはあまりに程遠い。

 1990年代、まだ徴兵制度があった時代、卒業後に海軍の徴兵の通知を受けた。だが、彼は海まで歩いて5分のところに家がありながら、金づちである(テニスやスキーは好きなスポーツマンであるにもかかわらず!)。泳げない人間が海軍だなんてあり得ない。

 そこで、海外で働くことで徴兵を回避できると知ったアレッサンドロは、国からの罰則を心配する父親を説得するべく弁護士を雇い、父親の合意を得たうえでスペインのバレンシアに向かった。

 カメラマンの助手、雑貨を売り歩く、不動産営業となんでもやって生き抜いた。こうした3年間の経験を経てミラノに戻った彼は、さまざまな職場を渡り歩きながら、博士課程で勉学を続けてPh.Dを取ったのである。そして2008年、37歳の時に大学の教員になった。

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