「先進国で最低」。日本に対してよく使われるようになった言葉だ。「先進国で唯一」も悪い意味での使用が増えた。その最たるものに「賃金」がある。平均賃金が先進国で最低であるばかりか、先進国で唯一、直近30年間で賃金がほぼ上がっていないのだ。「豊かな国」だったはずが、どうしてこうなってしまったのか。岸田文雄首相は「賃上げ」を最優先の政策課題にするものの、賃金を生む源泉の労働者の生産性も先進国で最低だ。生産性のない日本に賃上げは可能なのだろうか。
クルマが買えない日本
最近、クルマ好きの間で静かな変化が起きている。輸入車を長らく乗り継いできた人が国産車に乗り換えるか、車を手放すようになっているのだ。一部の富裕層を除いて。彼らは口をそろえてこう言う。「輸入車が高くなって買えない」
日本で人気の輸入車の代表格、独メルセデス・ベンツの中間グレード「Cクラス」のセダンで、排気量2リットルクラスのエンジンを積む「C200」を例にとる。日本での価格は平成10年ごろは400万円前後だったが、25年ごろに500万円を超え、昨年からは600万円を上回った。
もはや一般的なサラリーマンが手を出せる価格ではなくなった。メルセデスに限らず、BMWやアウディも同様だ。もちろん、自動ブレーキなどの安全装置を積むことで生産コストが上がっている側面もある。しかしそれ以上に、世界の物価上昇に日本がついていけていない現実を突きつけられる。
世界の物価はマクドナルドのハンバーガー「ビッグマック」の米ドル換算価格で比較するのが一般的。英誌エコノミストが公表した今年7月の指数によると、日本のビッグマック価格は3・55ドル。対して米国は5・65ドルで、2ドル以上の差がある。日本はカナダ(5・31ドル)、ユーロ圏(5・02ドル)を下回り先進国最低であるばかりか、韓国(4ドル)にも抜かれている。中国(3・46ドル)をわずかに上回る程度だ。かつて世界一物価が高いと言われた日本。1990年当時はビッグマック価格が米国を上回っていた。
一方、平均賃金はどうか。経済協力開発機構(OECD)の2020年調査によると、日本の平均賃金は先進国最低の423万円(1ドル=110円で換算)。トップの米国(763万円)とは大きな差があるばかりか、韓国(461万円)をも下回る。OECD加盟35カ国中でも22位だ。しかも、1990年と比べると日本は18万円しか増えていないが、米国は247万円も増えている。
これらから分かる通り、輸入車が高くなったのではなく、日本国民の賃金が上がっていないだけなのだ。
疑問視される税優遇の効果
この状況を打破すべく、今月10日に発足した第2次岸田政権は「賃上げ」を重視する。「成長」と「分配」の好循環を目指す「新しい資本主義」を掲げ、賃金を引き上げた企業には税負担の軽減措置を打ち出す。
税の優遇度合いにもよるが、大企業などでは一定の効果が期待できそうな半面、中小企業からは「新型コロナウイルスの影響で赤字になっており、客足も戻っていない。賃上げは簡単ではない」(うどん店展開のグルメ杵屋)などの声が噴出している。日本の企業数の99%を占める中小企業には法人税を納めていない赤字企業も多く、優遇措置が受けられない。赤字企業の賃上げには補助金で支援する方針だが、効果が疑問視されている。
そもそも理論上は、従業員の賃金を上げるためには、従業員の生産性を高める必要がある。しかし、日本生産性本部が発表した一昨年の日本の1時間当たりの労働生産性は47・9ドルで、先進国で最下位、OECD加盟37カ国中21位と、平均賃金と同じような位置にいる。
生産性が低いので賃金も上がりようがない状況だ。「生産性が高い=優秀」な人材が高賃金を求めて海外に流出するケースが後を絶たず、国力の低下につながっている。
最低賃金、ノーベル賞で注目
日本の平均賃金が上がらない原因の一つに、賃金が安い非正規労働者の増加もある。バブル期ごろは全雇用者の2割ほどだったが、現在は4割近くにのぼる。
非正規労働者の賃金で重要なのが最低賃金。しかしこちらも、政府の審議会が7月に最低賃金を全国平均で28円引き上げる目安をまとめた際には、事業者の多くが「雇用を維持できなくなる」などと異論をとなえていた。
最低賃金が上がると雇用を守れなくなるのか。これについては最近、興味深い学説が注目を集めている。今年のノーベル経済学賞を受賞した米大学教授の研究がまさにこの最低賃金についてだった。
研究では、賃金と雇用の関係を実証的に調査し、最低賃金を上げても雇用が減るとは限らないと結論づけている。世界でも日本人に信奉者が多いとされるノーベル賞を受賞した学説だ。一考に値するだろう。
賃金を上げるには生産性を高める必要があるが、賃金が上がらないから生産性も高まらないという面もある。生産性を底上げするために、最低賃金を引き上げるのも一つの方法として有効といえる。
いま求められるのは生産性と賃金をともに高める施策だ。岸田首相の打ち出す「成長と分配」は理念としてはこれに近いだろう。先の衆院選で勝利した岸田政権はいま有効な政策を打ち出しやすくなっている。生産性と賃金をともに高めないかぎり、日本は先進国の中で完全に置いていかれることになる。(経済部次長 藤原直樹)