焼肉の起源は? 宮塚利雄「日本焼肉物語」から考察する

    中国と日本では焼肉の定義がまったく違う

    今や日本の大衆食「焼肉」。コロナ禍で居酒屋などが軒並み苦戦する中でも売上減が少ない優等生としても注目された。最近、中国の若年層を中心に「焼肉は中国生まれ」という声をちらほら目にする。もっとも日本人は、「焼肉の起源がどこか?」などあまり気にしていないかもしれない。(筑前サンミゲル/5時から作家塾(R))

    中国の百度百科によると、焼肉の起こりはブラジルと紹介されている。しかし、中国SNSや百度Q&Aを見ると、焼肉は中国北方遊牧民族を起源とするなどが複数確認できる。

    百度百科は、ウィキペディアの代用的サイトとして、中国国内でのウィキペディアへのアクセス禁止を前提に拡張されたものとされる。当然ながら中国政府へ忖度し、強力な検閲下に置かれている。

    その百度百科と異なる説明が、SNSなどに流布しているということは、中国が90年代以降に強化した愛国教育の賜物なのかもしれない。または、中国政府が焼肉=中国発祥へと誘導させたい布石とも推測できる。

    これについては後述するが、中国と日本では焼肉の定義がまったく違うことが1つの要因と考えられる。

    「ホルモン焼き店」の誕生

    では、「日本での焼肉とは?」を『日本焼肉物語』(宮塚利雄・光文社)から考察してみたい。

    日本焼肉物語によると、今、私たちが使う焼肉という言葉が日本で使われるようになったのは、昭和40年代だという。比較的最近だ。

    焼肉が広く食べられるようになったのは、終戦直後の食料難の時代に在日朝鮮人たちが、当時、食材として一般的には食されていなかったホルモンを自分たちで七輪で焼いて食べたことがきっかけと紹介する。

    腹を空かせていた日本人たちもその香ばしい匂いにつられて七輪を囲むようになった。在日朝鮮人たちを中心にホルモン焼き店が次々に誕生していく。これが現在の焼肉店の原型となる。

    より正確には、ホルモン焼きは戦前にも存在していて、神戸にある元祖平壌冷麺店は、昭和14年(1939)には、ホルモン焼きを看板に掲げて営業していた。

    よって、昭和初期にはホルモン焼きが存在していたことになる。このあたりが起源と考えられるようだ。一般的ではなかったホルモン焼きが、全国へ広がっていったきっかけが、終戦直後の食料難だったということになるのだろう。

    戦前、ホルモンは薬剤として用いられることはあったが、食材としては使われなかったそうだ。

    「焼肉」の初登場

    ホルモン焼きは、その後、朝鮮焼きとも呼ばれるようになり、朝鮮戦争休戦後、日本国内の在日朝鮮人たちの間では、朝鮮民主主義人民共和国支持派と大韓民国支持派とに分断する。

    韓国支持派は、朝鮮焼きを韓国焼きと呼ぶようになり、その結果、ホルモン焼きに加えて、朝鮮焼き、韓国焼きの店名が並び立つようになった。

    昭和40年(1965)、日韓基本条約が締結されて、韓国との国交が樹立。ちょうどその頃に、複数の呼び方が混在していた呼称に変化が。朝鮮語(韓国語)の「肉を焼く」を意味するプルコギから焼肉に統一する動きが起こったのだ。

    著者の宮塚利雄氏は、このことを当時の電話帳を調べて確認している。

    昭和40年代以降の電話帳は、これまで皆無だった〇〇焼肉の店名が登場するようになった。「焼肉」の初登場である。


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