医療ロボットで出遅れた日本が国産化に成功した理由 「火の鳥」がつないだ不思議な縁

新幹線という世界初の高速鉄道を誕生させながら、日本は高速鉄道ビジネスをめぐる国際競争では出遅れた。医療用ロボットもまた然り。「産業ロボット大国」と評されながら、医療用ロボットの分野では日本メーカー不在の状況が長く続き、米国メーカーの世界市場独占を許した。そんな日本で2020年、国産初の高精度手術支援ロボットが発表された。「命を救うサポートがしたい」という一心で、日本のロボット技術の粋を集めた製品「hinotori(ヒノトリ)」だ。ヒノトリとはどんなロボットなのか。人気アニメ「機動戦士ガンダム」に登場しそうなコックピットに座り、実際に操作を体験してみた。

日本のロボット技術の粋を集めた国産初の高精度手術支援ロボット「ヒノトリ」。人気アニメ「機動戦士ガンダム」に登場しそうなコックピットに座り、実際に操作を体験してみた(SankeiBiz編集部)

新幹線の運転席にも生きている設計思想

東京・大崎のオフィスビルに設けられた医療用ロボットのショールーム。誇らしげに設置されたヒノトリは、執刀医が操作するコックピットと、4本のロボットアームを備えたオペレーションユニットで構成され、あたかもモビルスーツの操縦席のようだ。医療機器に対してはあまり適切な表現ではないかもしれないが、ヒノトリを操作した最初の感想は「こいつ、動くぞ!」だった。

ヒノトリは内視鏡手術を支援する医療用ロボット。アームの先に内視鏡カメラやメスなどの手術器具を装着し、高解像度の3D(立体)映像を見ながら極めて精緻な手術を行うことができる。

コックピットに座り、モニター付きのゴーグルをのぞき込むと、輪投げの輪のようなものが見えた。手元のコントローラーでアームを操作し、円錐形のカラーコーンに輪をかけるというデモンストレーションができるという。

コックピットに座り、モニター付きのゴーグルをのぞき込むと、輪投げの輪のようなものが見えた(SankeiBiz編集部)

輪の直径は1センチにも満たず、カラーコーンも爪の先ほどの大きさ。命をあずかる手術の難易度とは比ぶべくもないが、至難の業(わざ)に違いない。そう思ってコントローラーを動かしてみると、思いの外(ほか)すぐにできてしまった。両眼の視差を利用した3D映像になっているため、実感として操作しやすくなっているようだ。なにしろ、ゴーグル越しの映像は実物を高倍率に拡大したもので、目の前に数センチ大の輪があるように見えるのだ。

「手元のコントローラーを1センチ動かしても、アームの先は3ミリ程度しか動いていません。ヒノトリは精緻な動きができるので、より円滑に手術が実施できるようになります」。ヒノトリを開発したメディカロイド(神戸市)の経営企画部課長代理の山本泉さんが解説する。実際の手術では「鉗子」(かんし)と呼ばれる医療器具をアームの先に取り付け、器官や組織などを挟み、別のアームの先に取り付けたメスで切除などを行うことになる。

ヒノトリのアームは8つの関節を持ち、上下左右に動かし、回転させることもできる。動作の自由度はむしろ人の手よりも高く、「執刀医の思うがままに動かせる」(山本さん)。4本のアームは人の腕とほぼ同じ太さにそろえられ、アーム同士がぶつからないよう工夫されている。動かすアームの切り替えはフットペダルで行う。

ヒノトリを開発したメディカロイドの経営企画部課長代理の山本泉さん(SankeiBiz編集部)

「固まった姿勢で2時間、3時間と手術を続けていると、医師も疲労します。ヒノトリは人間工学的な手法で設計されていて、アームレストやフットペダルの高さ等を医師の体形に合わせて変えられるようになっています」と山本さんは胸を張る。

実はメディカロイドの母体のひとつは鉄道車両製造で知られる川崎重工業だ。人間の体形に合わせられる柔軟性は新幹線などの鉄道車両の運転席にも生きている設計思想だといい、山本さんは「ヒノトリには川重のDNAが入っている」と語る。

日本は産業ロボット大国でありながら、医療用ロボットの歴史はまだ浅い。日本初の医療用ロボットメーカーであるメディカロイドの設立はわずか約8年前だ。当時、国内で実用化されていた医療用ロボットは当然、全て海外製。ロボット工学が専門の同社経営企画部長、田村悦之さんは「日本の技術でなんとか医療に貢献したいという思いがありました」と振り返る。米メーカーに後塵を拝していた日本で、医療用ロボットメーカーが設立される契機となったのは1本の電話だった。

手塚治虫の名作「火の鳥」が引き合わせた不思議な縁から国産初の手術支援ロボットの開発が始まり、手塚プロダクションからも賛同を得て「ヒノトリ」と命名された(SankeiBiz編集部)

「日本の技術が劣っているわけではない」

「医療用ロボットに興味はないか」。産業用ロボットの国産化に初めて成功した川重でロボットビジネスセンター長などを務めた橋本康彦氏(現川崎重工業社長)が、医療検査機器大手シスメックス執行役員だった浅野薫氏(現メディカロイド社長)に電話口で切り出した。

2人は互いに20代の頃からの旧友。しかも当人たちにとっても意外な共通点があった。医師免許を持っていた手塚治虫の代表作「火の鳥」の愛読者だったということだ。永遠の命とは何か、人間とは何かを壮大なスケールで問い続けた長編大作に現れる、不死の血を持つ「火の鳥」が引き合わせた不思議な縁と言ってもいいかもしれない。

2人はすぐに意気投合。医療用ロボット製造に向けた勉強会を立ち上げると、川重、シスメックスの2社から技術者が数人ずつこれに加わった。こうして2013年10月、川重とシスメックスが50%ずつ共同出資した新会社メディカロイドが設立される。

産業用ロボットは日本と欧州で世界シェアの8割を占める一方、医療用ロボットになると9割がアメリカだという。患者の命にかかわる製品というリスクの高さから、日本では実用化止まりで商品化には至らなかった。日本の出遅れは「日本の技術自体が決して劣っているわけではなく、リスクの高さ自体に原因があった」(山本さん)ともみられている。

だが、メディカロイドの設立は、アベノミクスを掲げた2度目の安倍晋三政権の発足1年目。成長戦略で医療・介護分野やロボット産業の育成が重要施策と位置付けられたことも川重とシスメックスの背中を押した。新会社のメディカロイドでは橋本氏が社長に、浅野氏が副社長に就いた。

ヒノトリのアームは8つの関節を持ち、上下左右に動かし、回転させることもできる。動作の自由度はむしろ人の手よりも高いという(SankeiBiz編集部)

メディカロイドが目をつけた課題は「内視鏡手術」の難しさだ。内視鏡手術では、内視鏡を操作する助手の医師と、執刀医がいかに息を合わすことができるかに熟練の技が求められる。執刀医は患者の腹部に入れた内視鏡を見ながら手術器具を扱うことになるが、内視鏡の映像を見ながら手術器具を動かすと、患部では上下左右が逆になるといった特性もあり、「習熟に時間がかかっていた」(山本さん)という。

川重が持つ産業用ロボットの技術と、医療機関にネットワークをもつシスメックスがノウハウを持ち寄り、国産初の手術支援ロボットの開発は2015年から始まった。特に安全面に心を砕きつつ開発が進められ、日の目を見るまでに5年の歳月が流れた。医師の感覚を工学的な数値に変換して製品開発に取り入れることに最初は苦労したが、医師とともに開発を推進する中で、医師が求めていることを理解し改善を実施できるようになっていったという。

手塚治虫の長編大作「火の鳥」黎明(れいめい)編は、古代の医師が病に倒れた乙女を救う場面からが始まる。火の鳥を通じて手塚治虫が命の尊さと向き合い続けたように、命と向き合う医療従事者をサポートしていきたい-。コンセプトは「人の代わりとなる」ものではなく、「人に仕え、人を支えるロボット」。手塚プロダクションからも賛同を得て、国産初の手術支援ロボットはヒノトリと命名された。

ヒノトリは2020年8月、ついに製造販売承認を取得。日本市場では泌尿器科を対象に導入されることになった。5Gを活用し、ヒノトリを使った遠隔手術の実用化に向けた実証実験も進む(SankeiBiz編集部)

「100点満点。感無量だ」

ヒノトリは2020年8月、ついに製造販売承認を取得する。日本市場では泌尿器科を対象に導入されることになり、同年12月には神戸大学医学部付属病院(神戸市)で1例目の手術が成功。開発に携わり、執刀も担当した神戸大大学院の藤沢正人医学研究科長は「大きなトラブルもなく100点満点。感無量だ」と語った。病院によると、手術は前立腺がんの70代男性患者に対する前立腺の全摘出で、時間は約4時間半だった。

医療機器の開発は医学と工学が連携して進められる。ヒノトリは医療現場のニーズに応える「医工連携」の象徴ともいえる。例えば、ヒノトリには「ネットワークサポートシステム」が標準装備され、アームの動きを記録することもできるという。今後は医師の手さばきを蓄積し、手術の自動化も目指しているのだ。第5世代(5G)移動通信システムを活用し、ヒノトリを使った遠隔手術の実用化に向けた実証実験も進む。山本さんはこんな未来を見据える。

「熟練した医師がいるかいないかで、患者さんが受けられる医療に差がある場面がありました。これからは、地方の若手のお医者さんが執刀する際、判断に迷う個所を手術するときに、熟練した先生が遠隔支援に入るという未来もあるのではないかと思っています」

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