2010年―熊本から巨龍・中国を飲み込む! 味千ラーメンの軌跡

麺料理の本場に逆輸入で躍進した「日式拉麺」

日本のラーメンが海外への雄飛を図ったのは1980年代以降のことだ。グローバルでは麺料理の一つとして「Ramen」が定着しており、中国、香港、台湾といった漢字文化圏では「日式拉麺」として受容されている。

中国大陸における日本式ラーメン店の橋頭堡は、1986年に北京にオープンした『新僑二幸』と言われる。日本の商社と北京の大手ホテル新僑飯店の合弁レストランとして開業した。ただ、カウンタータイプの日本ラーメン店のスタイルを現地にそのまま持ち込んだもので、主なターゲットは現地の邦人駐在員。広く中国人民に向けた「日式拉麺」に至ってはいなかった。

その後、商社や外食産業など多くの日本企業が合弁による中国進出を目指したが、成功モデルは「1000店出店計画」を掲げ、中国の各都市で大量に大規模店を出店した『味千ラーメン』をおいて他にはない。初めて海外出店を図ったのは1994年、創業者の故郷・台湾だ。

「初めての海外進出は失敗に終わりました。失敗の原因は、現地オーナーに当社の考え方を理解してもらえなかったことです。当社は台湾の製麺会社と合弁会社をつくったのですが、現地法人が販売していたラーメンは、日本の「味千ラーメン」とは似て非なるものでした。麺はフニャフニャで、スープの味も薄かったんです」(『経営者通信』2011年4月号)

創業者である父の想いを継いだ2代目社長・重光克昭の回顧である。この苦い戦訓を経て、重光は「現地の好みは無視できないが、本来の味については妥協してはいけない」と決意。1995年には現地実業家と強固なパートナーシップを結び、香港に初出店。コア・コンピタンスである「豚骨スープ」の味については徹底的に管理しつつ、店づくりなどのソフト面やメニュー開発、マーケティングは現地パートナーに移譲。日本法人・中国法人がバランスを取った両頭体制で大量出店につなげていく。

大人数でワイワイ食べる中国食文化に合わせ、席は4人がけ以上がスタンダード。ステータスを重んじる国民性を慮り、空港や百貨店、ショッピングセンターに活気ある大型店をつくった。スープは熊本流をぶらさず、麺の茹で方もしっかり品質管理。一方、トッピングは徹底的にローカライズする。香港では丼に皮付きの有頭エビを乗せた海老ラーメンやトマト鶏ラーメン、タイではトムヤムラーメン、シンガポールではチリソースを加えたボルケーノラーメン。焼き鳥などのサイドメニューも充実させ、ファミリーニーズにも刺さるよう配慮した。かくして、「地方中小企業の海外進出成功モデル」として大躍進を果たした味千ラーメン。2010年の中国経済躍進と歩を合わせたブレイクから、現在の発展はいかに――?

2010年代前半は1000店舗体制を目指して驀進していた味千中国だが、現在の店舗ネットワークは約700店ほど。尖閣諸島問題に端を発する反日感情の高まり、そしてスープの内製を巡った報道などがあり、基盤はいまだ強固ながら、一時期の勢いが失われているのも確かだ。

失速の背景として指摘されるのが、中国消費者の成熟だ。日本のマンガからコンテンツ化された『深夜食堂』が人気を集め、金ピカラグジュアリーから渋い職人志向の食体験を求める動きがあれば、SNS映え、コロナ禍によるオンラインデリバリーの隆盛も大箱店舗の苦境に追い込んでいる。

本連載で取り上げてきた多くのラーメンと同じく、戦後に勃興した熊本『味千ラーメン』。日が昇るかのような高度経済成長期に浸透し、リープフロッグ型のモデルとして無二の存在感を発揮してきた。成熟ステージに向かう中国、そしてアジア圏で、北極星をどうやって見出していくのか――。今こそ、火の国で培われた創意に期待したい。

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