“90歳”の最高齢アイアンマン・稲田弘さん 世界選の切符逃すも「91歳で取り返す!」

トライアスロン界で国内のみならず、いまや世界中にその名を知られる稲田弘(ひろむ)さん。89歳でスイム3.8キロ、バイク(自転車)180キロ、ラン42.195キロから成る過酷なレース「アイアンマン」に挑戦し続ける世界最高齢の現役選手だ。6月初旬、10月にハワイ島コナで開催されるアイアンマン・ワールド・チャンピオンシップ(世界選手権)への出場権獲得がかかったレースに臨み、惜しくも制限時間13分オーバーで出場権を逃したが、「このままじゃ引き下がれない」と帰国早々来年の世界選出場に向けて練習を再開している。大きな怪我に見舞われ、「今回が最後の世界選になるかもしれない」と身体の限界を感じていた稲田さんだったが、その「限界」はまだまだ先延ばしとなったようだ。

稲田弘さん=6月5日、ハワイ(山本淳一提供)

老いには抗わない、努力で補う

「悔しい。脚の痛みがなかったら…」。6月5日、ハワイ島で開催された「アイアンマン70.3ハワイ」(スイム1.9キロ、バイク90キロ、ラン21.1キロ)というアイアンマン世界選の出場権がかかったレースのランステージ。アップダウンが激しいゴルフ場の下りは、半月板を損傷していた稲田さんの膝を容赦なく襲った。極力芝生を走り、着地の衝撃を抑えようとしたがそれでも痛みが和らぐことはなく、走るスピードを落とさざるを得なかった。結果は制限時間から13分遅れの8時間43分14。周囲は完走を祝福したが、稲田さんの表情には悔しさが滲んでいた。

練習熱心。パフォーマンスに役立つヒントがあれば、それが他のスポーツであっても取り入れ、練習で試す。「バイクはまだ速くなっているんだよ。この前スピードスケート選手の脚の動きを真似てみたら坂が上りやすくなってね」と、所属するチームで自分の孫のような年齢の若い選手たちとともに160キロに及ぶバイクトレーニングもこなす。89歳にして、いまなお前向きに練習を続ける姿があとに続くホビーアスリートたちから憧れと尊敬を集めている。

60歳当時、病気を患っていた妻を介護する傍ら自身の健康管理のためと近所のプールに通い始めた。それがきっかけとなり、70歳でトライアスロンの道へ。「タイムは遅いんだけど、完走すると周りからすごいと言われると嬉しくてね」と続けているうちに、ついに76歳でアイアンマン挑戦と驚きの進化を遂げた。79歳、2度目の出場となるアイアンマン世界選で完走し、年代別初優勝を果たした。前年の優勝者より1時間早かった当時の記録は、いまだ破られていない。

2015年、82歳で出場したアイアンマン世界選では、惜しくも制限時間までわずか5秒というところで完走を逃した。が、朦朧(もうろう)とする意識の中、力を振り絞ってゴールを目指そうとする姿がメディアで取り上げられ、その名が広く世界に知られることになった。以来現地では「英雄」となり、稲田さんの元にはいまも世界から多くの応援メッセージが寄せられている。

2015年、82歳で出場したアイアンマン世界選のゴール直前で倒れ込む稲田さん。制限時間にわずか5秒間に合わなかったが、その姿は多くの人の記憶に刻まれた(本人提供)

しかし当の稲田さんは、「あのとき絶対ゴールしたと思ってたんだよ。表彰台で名前が呼ばれなくて初めて制限時間オーバーだと知ってショックだったね〜」とあくまで結果にこだわる。飄々とした人柄も稲田さんの魅力だ。

89歳であることを感じさせない稲田さんだが、その背景には日々の地道な努力がある。トレーニングはもちろん、栄養価の高い食事も毎食自炊する。階段を上ったり買い物で重い荷物を持ったりする日常生活も「筋トレ」といいながら筋肉への負荷を意識する。テレビなどの音量を最小限にするなど聴覚にも気を使う。もう一つの趣味であるギターも「脳に良い」と毎日練習を欠かさない。

「筋肉の落ち方が激しくなっているのを感じる。昨日できたことが翌日できないこともある」という。だからといってアイアンマンへの挑戦を止める選択肢はない。「老化は人間の宿命。問題はそれをどうやって努力でカバーできるか。身体能力は進化しないけれど技術の改善で補うことはできる」という。何より大事にしているのは「楽しい」と思える感覚。「少しの上達を喜んだりチームのメンバーと笑ったり、なんでもいい。楽しい日々を送ろうとすれば気力が老いることはない」─。

今回が最後の挑戦になるかもしれない

そんな稲田さんの歩みを止める出来事が起きた。昨年2月末、自転車のトレーニング中に車との接触事故に見舞われ、骨盤を骨折。入院2カ月という大ケガに見舞われた。これまでも幾度となく落車事故で鎖骨や肋骨を負傷しては復活を遂げ、腰部脊柱管狭窄症を発症したときも痛み止めを打ちながらレースに臨んでいた稲田さんだったが、歩行動作に致命的な部位の負傷とあってはさすがに慎重にならざるを得なかった。

入院中、負傷した部位に負担をかけないようリハビリ用のインドアバイクでペダルを回したり、できる範囲で努力を続けたものの、普段のトレーニング強度には程遠い。脚の筋力はおろか心肺機能も低下。退院後は数キロ走っただけで膝の半月板が痛むようになり、今年4月末時点で走れた最長距離はハーフマラソンの距離にも及ばない16キロにとどまっていた。

アイアンマンは開催年の12月末時点の年齢で区分するため、11月生まれの稲田さんは90歳としてカウントされる。90歳台でのアイアンマン挑戦は前代未聞で、応援する人たちから多くの支援も寄せられた。しかし応援が増えれば増えるほど稲田さん自身は次第にプレッシャーも感じるように。身体の不調を強く感じる一方で、応援してくれる人の期待に応えたいという焦りが募る。「アイアンマン世界選の挑戦は今回で最後になるかもしれない」─そんな思いも頭をよぎっていた。

「自分はまだ行ける」

不安を抱えながら臨んだ6月の前哨戦「アイアンマン70.3ハワイ」。大会の1カ月前からサポートメンバーとハワイに入り、暑熱順応や3年ぶりとなるレースに体を慣らしながら本番を迎えた。

本番は「自分でも驚くほど順調だった」(稲田さん)。バイクステージ(90キロ)はこれまでの自身の記録を30分も塗り替える4時間ほどでゴール。さらにラン後半はいわゆる「ランナーズハイ」のような状態に。最高40℃を超える気温でリタイアする人が続出するなか、稲田さんは暑さに苦しむこともなく、ゴール後も心肺・体力的にも余裕が残るという「誤算」が起きた。それだけにランでのタイムロスの悔しさが募った。

フィニッシュ直後の稲田弘さん。惜しくも世界選の出場権は逃したが、特別賞を受賞した=6月5日、ハワイ(山本淳一提供)

ただ、「走り方を工夫すれば行けると思うんだよ」と、どこか嬉しそうでもある。自分がまだアイアンマンレースを続けられることを確信したのだ。「コースはわかった。あとは下りで膝に痛みの出ない走り方を練習するだけ」。1年後のレースに向けて課題が見つかった。「強くなってあのコースにもう一度挑戦したい」と語る表情には、出国前に見せた不安の色はなくなっていた。「きっと来年の方がうまくいく」という稲田さん。90歳の新たな挑戦が始まった。(SankeiBiz編集部 後藤恭子)

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