本田宗一郎氏も出走 日本のモータースポーツ発祥の地「多摩川スピードウエイ」
■歴史評価の機運高まる
日本初の常設モーターサーキット「多摩川スピードウエイ」で、昭和11年から13年にかけて行われた「全日本自動車競走大会」を回顧する初のイベントが21、22日、大田区の「田園調布せせらぎ公園」集会室で開かれる。会場にはモータースポーツの夜明けを伝える写真や絵画、第1回大会で優勝したオオタ自動車のレース車の原型となった車が展示されるほか、関係者遺族から寄せられた貴重な当時の映像も放映される予定だ。(重松明子)
多摩川スピードウエイは、東急東横線の多摩川橋梁上流に隣接する川崎市中原区側の河川敷に存在した。1周1200メートル。3万人収容の本格的なサーキットだった。
主催の大田観光協会は、「区内の観光資源を調査する中で、サーキットは多摩川を挟んで大田区側にあった多摩川園(遊園地)や田園コロシアム(テニス場)と一体化した、日本の近代化を象徴する施設だったと確認。今後、川崎市側とも連携していきたい」という。
本田技研工業創業者の本田宗一郎氏も第1回からレースに参加するなど、サーキットは後の自動車業界に燦然(さんぜん)と輝く巨星たちの夢の原点でもあった。
昨年末、関係者の子孫や自動車研究者らが「先人の情熱と創意をたたえ、後世に伝えたい」と、任意団体「多摩川スピードウエイの会」を設立。歴史遺産としての評価の機運が高まってきた。
元日産自動車米国法人社長で「フェアレディZの生みの親」として知られる片山豊氏を父に持つ同会の片山光夫会長(70)は、「戦時体制に巻き込まれ3年で中止を余儀なくされたが、ここで始まったレースが日本の自動車産業とモータースポーツの基盤となった」と意義を強調。
今も土手沿いに、コンクリート製の階段状のメーンスタンドが荒れた状態で残されているが、同会は80周年を迎える来年に向けて、記念碑を設置する準備を進めている。
【用語解説】多摩川スピードウエイ
昭和11年6月開業。幅20メートルのオーバルコース。東京横浜電鉄(東京急行電鉄の前身)などが出資した。戦局を受けた娯楽自粛により、13年4月を最後に自動車レースは行われなくなった。廃止時期は不明。跡地は昭和36年からプロ野球練習場などとして使用され、今年4月から川崎市営の多摩川丸子橋硬式野球場となった。
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