日産元社長の塙義一氏死去 ルノーとの提携決断、再建へ道筋
フランス自動車大手ルノーとの提携に踏み切り、日産自動車の再建に尽力した元社長の塙義一(はなわ・よしかず)氏が18日、心筋梗塞のため死去した。81歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻、佳子(よしこ)さん。お別れの会を開くが、日時や場所は未定。
東大卒業後の1957年に日産入社。80年代に米国工場開設に尽力したほか、企画室長として経営計画の立案などに取り組んだ。社内では早くから社長候補と目されていたという。90年に専務、96年に社長に就任した。
だが、社長になって直面したのは、巨額の負債を抱え、瀕死(ひんし)の状態に陥った日産をどう生き残らせるかだった。
独ダイムラー・ベンツや米フォード・モーターなども候補に浮上する中、ルノーのルイ・シュバイツァー会長(当時)と直接語り合って信頼関係を築き、99年3月に提携を決断した。同年6月に会長兼社長となり、2000年6月に社長職を、ルノーから招いたカルロス・ゴーン氏に譲った。
再建が完了して成長軌道に乗ったのを見届け、03年に相談役名誉会長となり、経営の第一線から退いた。
日産のV字回復について、後に自身は「日産はグローバル化すべきだし、精神的な改革も必要だと考えていた。それをゴーンさんが見事にやってくれた」と振り返った。
今年に入って、日産の経営にフランス政府が筆頭株主になっているルノーを通じて関与する懸念が浮上。本人も最近まで「メディアの取材に元気に持論を述べていた」(日産関係者)という。
日産、ルノー、フランス政府は今月11日、日産の独立性や両社の対等な関係の維持で合意。それを見届けるかのように、息を引き取った。
ゴーン氏は22日、「日産ファミリーにとって重要な存在で、ルノーと日産の提携の土台を支える中心的な役割を果たした。日本と世界の自動車産業の発展に大きく貢献した」とのコメントを出した。
日本自動車工業会(自工会)の池史彦会長(ホンダ会長)は「日産とルノーの提携の立役者として活躍された。業界として残念だ」と記者団に語った。(田村龍彦)
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