渡邊五郎 三井物産元副社長(20)

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商社マンからメーカーの三井化学副会長に就任=1999年

 ■三井化学に転身 心残りの業界再編

 合併で誕生した三井化学の副会長に1999年就任し、2001年から2年間、会長を務めさせていただきました。三井物産から三井化学への転身は前例のないことだったかもしれません。商社マンにしてみれば、まるきっり、別世界に行くことだったけれども、その恐ろしさは考えないようにして、化学分野で41年過ごした経験から、何かできるはずだとポジティブに対応しました。

 ◆財閥超えた統合計画

 会長時代に大きな出来事がありました。財閥の壁を超えた、住友化学工業(現住友化学)との統合構想です。2000年11月、「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」を目指して03年10月をめどに両社の事業を全面的に統合することに基本的に合意し、その具体的検討を開始しました。両社社長を共同委員長とする事業統合検討委員会の下に各種分科会を設置し、統合に向け順調かつ精力的に検討を進めました。

 そもそも私は三井物産で化学を担当していた時代から、海外の趨勢(すうせい)をみて、いずれ日本の化学工業界の再編成は必至だと感じていました。日本は三井、三菱、住友と財閥系が色濃くありましたが、私は業界の再編成は、通産省主導型か、日本興業銀行主導型による無色層の系列化から始まるのではないかとの考えを持ち続けていました。

 同じように感じていた人たちがいたのではないかと思いますが、日本の化学業界の再編が、役所主導でもなく銀行主導でもなく、三井、住友というグループの意識の壁を乗り越えて統合の話が始まったということは、画期的なことだったと思います。

 前年の99年10月に住友銀行とさくら銀行が統合に基本合意していたことも後押ししてくれていたのかもしれません。

 ところが、住友化学との統合は実らなかった。

 2003年3月、統合計画の白紙撤回を発表しました。素材市況改善という追い風が吹き、好決算に転じたためとか、統合比率で折り合わなかった、などと破談の理由は取り沙汰されましたが、これは当事者のひとりとして言えないことが多いのですが、成婚と至らなかったことは、大きな心残りです。

 三井化学の会長退任で化学業界から離れることになりましたが、日本の化学工業が大同団結して、世界で活躍するようになってほしいと今でも願っています。

 ◆「十戒・五郎版」

 初めてのメーカー勤務で、三井化学の4年間で強く受けた印象は2つあります。経営トップの経営に対する真摯(しんし)な姿勢と、組織がロジカルに統一され運営されていたことです。

 会長に就任したとき、社員にこうあってほしいと「モーセの十戒・五郎版」を作成しました。「基本に戻れ」「世界に人脈を作れ」「自然体で生きよ」など。モーセの十戒はネガティブサイドのことばかりですが、私はポジティブサイドばかりの考え方を披瀝(ひれき)しました。メーカーはともすると保守的で慎重になりがちですから、簡単に言うと、一緒に明るく前に積極的に進もうじゃないか、ということでした。(聞き手 廣瀬千秋)