京フーズ 昼は弁当店、夜は居酒屋のユニーク経営
京都発 輝く京の台所、錦市場に近い弁当販売店「遊食邸(ゆうしょくてい)」錦店(京都市中京区)。午前11時に開店すると近隣に勤めるサラリーマンやOLらが昼食選びに訪れる。チキン南蛮、空揚げ…とメーンの総菜が入った各種弁当を、安いもので300円台から販売する。「あとは飲み物を買えば、ワンコインで昼食の予算が収まるのが受けているのではないか」と女性店員は分析する。
ただ、弁当に使う素材は決して手を抜かない。「手作り・無添加・安心安全」にこだわる。例えば、エビフライやコロッケは冷凍食品を使わず、手間暇かけて手作りし、店頭に出す。
◆社員のアイデアから
錦店など京都市内で7店舗を運営する京フーズの関佳彦社長(54)は、弁当の販売価格を安く抑える工夫として「例えばスーパーなどで出回らない規格外の野菜を、農家の協力を得て大量購入する」と明かす。
そんな錦店は、午後4時になると衣替えする。総菜やお酒を基本的に税込み108円で提供する100円均一の立呑居酒屋「百」としての営業が始まる。立ち飲みでも、驚きの価格設定が受け、午後11時まで「外国人の方も含め、学生から高齢者まで幅広い年齢層の方々に来店いただいている」(田中政孝店長)と連日にぎわう。
立ち飲み居酒屋「百」の展開を始めたのは2006年。錦店の弁当の売り上げが夕方以降落ち込む状況を打開する策として、社員のアイデアから生まれた。
関社長は「僕は『行こうや』という言葉に引っかけ、158円均一店を提案したが、逆に社員から『分かりづらい』と却下された。100円均一店に当初不安があったが、おかげさまで損益分岐点を超える状況が続く」と驚く。早ければ年内にも「百」の2号店を京都駅前などを候補に駅チカで出店する計画もある。
昼は弁当店、夜は立ち飲み居酒屋というユニークな“二毛作”経営を打ち出す同社だが、決して順風満帆だったわけではない。大学在学中に弁当店を創業した関社長が挫折を何度も味わい、人生を立て直した結果だ。
20代は「1番を目指し、お金を稼ぐことしか考えていなかった」という関社長。京都府内の弁当店で初めて24時間営業を始めるなど、同業他社との差別化を図った。そんなユニーク経営が受け、30歳前後で独自ブランドの弁当店「遊食邸」を関西で約20店舗まで一気に拡大し、ピークで年商10億円に近い水準まで稼いだ。
ただ、赤字店も多く、バブル経済崩壊の影響を受けた結果、残った店は京都市内の2店のみ。家や車を手放しても借金が残る人生のどん底を味わった。
◆「観光地になれ」
「おれは、何をやりたいねん。弁当店しかないかー」。落ち込む関社長が救われた言葉がある。当時、偶然会う機会があった「銀座まるかん」創業者で、ダイエット食品「スリムドカン」が売れ高額納税者として有名な斉藤一人さんの「観光地になりなさい」という忠告だった。いつも気持ちを明るくを心掛ければ、再び周りに人が集まり、チャンスもお金も集まるという意味だった。「目が覚めた」という関社長の経営方針も事業拡大の一辺倒から転換し、「社員、お客さまの幸せ第一」の考えに変わっていった。
かつては東京進出、株式上場を目指す夢も描いたが、今はそんな気持ちはない。地元・京都で弁当販売を軸に、地域貢献を手がける考えだ。具体的には、種智院大学(同伏見区)の食堂経営を任され、将来は近隣農家の野菜などを売る直売所を併設した「食育のテーマパーク」づくりを夢見る。日本文化の体験事業を行うワックジャパン(同中京区)とも連携し、中高生らに農業体験してもらうツアーも来年から始める予定だ。
関社長は「店舗拡大を急ぐのではなく、臨機応変に、社会に役立つ企業として、100年企業を目指したい」と将来を見据える。(西川博明)
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【会社概要】京フーズ
▽本社=京都市中京区六角通烏丸東入ル堂ノ前町228
▽設立=2003年4月
▽資本金=300万円
▽従業員=約60人(パート・アルバイト含む、16年3月時点)
▽売上高=約3億円(16年3月期見通し)
▽事業内容=弁当・総菜の製造販売、飲食店の運営など
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≪インタビュー≫
□関佳彦社長
■喜ばれる会社づくりで100年企業に
--創業のきっかけは
「月100万円稼ぐには商売しかないと安易な気持ちで、当時流行っていた『ほか弁』を始めた。15歳から付き合っていた妻と早く結婚しなければと思ったし」
--大学3回生で創業した
「当初は京都府内のフランチャイズチェーン(FC)100店のうち、自分の店は売り上げが70~80番目。私は20代で他店の店長は40~50代。成績が良い店へ教えを請いに行った。売り上げはお客さまの『ご満足高』と教えてもらった」
--25歳でFC店1番に
「当時の弁当店は午前8時~午後8時の営業が基本。体力があるので24時間営業にした。警察やマスコミなど深夜の需要は意外に多いと気づいた」
--年商10億円近い時も
「自社ブランド『遊食邸』を立ち上げ、29~32歳の3年間で関西に約20店舗まで拡大した。成長ではなく膨張やった」
--大きな挫折も味わう
「バブル崩壊もあったが急拡大で従業員が育たなかった。事業撤退は大変で、会社売却を持ちかけたがうまくいかない。腹心と思っていた社員らも辞めていった。子供が3人いて、逃げるに逃げられなかった」
--ここで会社を立て直した
「経営コンサルタントの著書を読んだり、(スリムドカンで有名な)斉藤一人さんの言葉を聞いたりして、明るい顔で前向きな言葉を話すよう心がけた」
--弁当店経営で再起できた
「喜ばれる会社づくりが今の目標。例えば、東映や松竹の撮影先で1000円以下で温かい食事を提供できるのは、京都で当社だけ。昔から24時間年中無休で弁当の配達をしたように、臨機応変に対応できるのが強みだ」
--経営の妙味は
「社員ら人が育てば、自分が必要とされていると感じる。お金は結果として入ってくればいい。社会で役立てば、会社は生き残ると思うし、100年企業になれるようにしていきたい」
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【プロフィル】関佳彦
せき・よしひこ 立命館大経済卒。1982年、大学3回生で起業した後、独自ブランドに切り替えた弁当店「遊食邸」を展開。2003年に有限会社「京フーズ」を設立し、現職。10年、京都商工会議所の第1回「知恵ビジネスプランコンテスト」で入賞した。54歳。京都府出身。
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≪イチ押し!≫
■こだわり最上級「おおきに京都弁当」
京フーズの売上高の約7割を占める「お弁当」。30~40種類の中で最もこだわりが色濃く反映されたのが「おおきに京都弁当」(税込み864円)だ。減農薬や有機肥料による栽培にこだわる農業生産法人、中嶋農園(京都市伏見区)がつくる古代米を使用。アミノ酸やミネラル、ビタミンB群、ビタミンE、鉄分がそれぞれ白米の2~3倍ある“不老長寿のコメ”として知られ、徳川家康が伏見城にいた際、自分の部隊を強くするために食べさせた「武士米」という逸話も残る。
関佳彦社長の長男で、遊食邸六角店長の悠人さん(29)は「古代米だけでなく、おからコロッケ、豆腐ハンバーグなど手作りでこだわりのある総菜がたくさん入っている」と話す。このほか、豆腐と野菜のみを使う弁当「京の豆腐屋さん」など時代ニーズを捉えた新作を品ぞろえしていく。
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