「夢とロマン」をビジネスモデルに

高論卓説

 ■賢い石頭戦略でホンダジェット離陸

 本田技研工業の子会社、ホンダエアクラフトカンパニーは昨年末、米連邦航空局(FAA)から同社が独自に開発した小型ジェット機「ホンダジェット」の型式証明を取得した。これは同社が航空機メーカーとして正式に世界から認められた証しである。ホンダが1986年に航空機の開発に着手してから30年が経過していた。同社は30年の間、1ドルの売り上げも利益も計上できなくても、自社製飛行機を飛ばすために莫大(ばくだい)な投資を続けてきた。

 なぜホンダは自社開発にこだわったのか? なぜM&A(企業の合併・買収)で既存の航空機メーカーを取り込み、時間を買う戦略を取らなかったのか? ホンダが飛行機と聞いて、おやっとも思うが、実はホンダ社内には昔から「いつかは空に」という夢があった。

 創業者の本田宗一郎さんが小学校2年生の時、大正時代のことだ。飛行機を見に、大人用の自転車を三角乗りして20キロも離れた隣街まで行ったという話がある。それ以来、本田少年は「いつか自分も飛行機に乗ってみたい」ではなく、「いつか自分も飛行機を作って飛ばしてみたい」という夢を持ったという。ホンダジェット誕生の裏には、こんな100年前の逸話がある。

 自転車に発電機用の補助エンジンを取り付けた“バタバタ”と呼ばれた簡易オートバイも、初のオートバイ「ドリーム号」も、軽トラック「T360」もスポーツカー「S500」もホンダは全て独力で開発した。「自分で作る」ことこそが宗一郎少年から脈々と引き継がれているホンダが誇る頑固で石頭の職人気質(かたぎ)DNAなのだろう。

 もう一つのホンダDNAは「夢とロマンを実現する」である。夢とロマンを追いかけるではなく「実現する」である。航空機産業への参入は高い参入障壁がある。航空機事故は人命に直結するものであるから、航空機の安全基準は自動車とは比べものにならないほどの厳しさが要求される。製造工場も工員も下請けの部品工場でさえ、FAAが要求する品質基準をクリアすることが求められている。それゆえ世界を見回しても航空機産業への新規参入者はまれだ。

 この高い参入障壁こそがホンダの狙いだったという。

 なぜなら参入障壁が低い産業は競合も多く、レッドオーシャン(競争の激しい混乱市場)に陥りやすい。一方、参入障壁が高ければプレーヤー数も限られており、自動車産業に比べれば圧倒的にライバルも少ない。いったん、その高いバーさえクリアすれば、そこはブルーオーシャン(健全な利益を確保できる市場)で安定した経営ができる。そのためにホンダは30年間頑張った。株主からの圧力にも社内の批判にも耐えた。

 新しいホンダジェットは競合の同型機に比べスピードで10%、燃費で20%の向上を果たし、既に100機以上のバックオーダーを抱えているという。

 ホンダは創業者から引き継いだ「夢とロマン」を実現し、さらに、オートバイと自動車に次ぐ3つ目の主力商品を手に入れた。まさに、したたかで、頑固で、賢いグローバルカンパニーだ。

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【プロフィル】平松庚三

 ひらまつ・こうぞう 実業家。アメリカン大学卒。ソニーを経てアメリカンエキスプレス副社長、AOLジャパン社長、弥生社長、ライブドア社長などを歴任。2008年から小僧com社長(現職)。他にも各種企業の社外取締役など。69歳。北海道出身。