繰り返す不祥事 歴代トップ根絶できず
三菱自動車不正三菱自動車の燃費データ不正問題は、かつての不祥事から再生への道筋が付いた直後に発覚した。平成12年、16年の2度のリコール(回収・無償修理)隠しなど相次ぐ不祥事で厳しい批判を受けたが、歴代の経営トップは四半世紀に及ぶ不正を根絶できなかった。今後の調査では、益子修会長や相川哲郎社長ら経営陣を含め組織的な関与があったかどうかが焦点になる。(会田聡)
「(27年度は)新車投入計画を発表し、ブランド復活のスタートを切った年だった」。相川社長は27日の決算会見でこう述べ、肩を落とした。
三菱自は昭和45年に三菱重工業の自動車部門が独立して発足した。スポーツ用多目的車(SUV)の先駆け「パジェロ」などヒット商品を生み出し、一時は国内販売70万台を誇った。
だが、三菱重工出身の河添克彦氏が社長時代の12年に、部品の欠陥へのクレームを隠して内密に回収・修理するリコール隠しが判明。14年にも欠陥による死傷事故が横浜市と山口県で起き、河添氏は起訴され、有罪判決が確定している。
ブランドの失墜で業績が悪化する中、14年に当時の筆頭株主の独ダイムラー・クライスラーからロルフ・エクロート氏が社長に就任した。三菱グループ外から初の社長だったが、経営を立て直せず、ダイムラーが16年に資本提携を解消したことで退任している。その後、再びリコール隠しが明らかになり経営危機に陥った。
これに対し、三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行の「御三家」を中心とする三菱グループが、三菱自の優先株を引き受けるなど支援。再生への陣頭指揮を執る社長に17年に就任したのが、三菱商事出身の益子氏だ。
益子氏は経費削減や海外事業の強化で業績を回復し、26年には優先株の大半を消却した。一方で、リコール隠しをめぐり、元役員に損害賠償を求めるなど不正を断ち切る姿勢を見せていた。産経新聞の26年のインタビューでは、「経営者の対応が一番の問題だった」と語っている。
しかし、リコール隠しの裏で、今回の国内法令と異なる走行法で燃費試験を行う不正は3年から約25年間にわたり続いていた。試験のデータ改(かい)竄(ざん)も、25年から販売する軽自動車の開発段階で行われていた。
後任の相川社長は、「(不正を)全く承知していなかった」と関与を否定する。三菱自は不正の経緯などを調べるため、渡辺恵一弁護士を委員長とする特別調査委員会を設置し、7月下旬をめどに結果を報告する方針。経営陣から不正の指示や組織的な情報隠しがなかったかどうか。徹底的な原因究明が、不正の歴史を断ち切る第一歩になる。
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