堺市でシャープ社員ら再挑戦 新天地で再起図った創業者の心を胸に

 
大阪市内から堺市に移転したシャープの本社。建物右側の3階建て部分。左側は元々稼働していた工場=1日午前、堺市堺区(柿平博文撮影)

 シャープが1日に本社を移転した堺市の事務所棟には、初出勤する社員らの姿が見られた。一方、大正時代から本社を置いてきた大阪市阿倍野区の地元では、再出発する社員らとの別れを惜しんだり、励ましたりする声が聞かれた。

 業績悪化により売却された大阪市の旧本社ビルと、隣接する田辺ビルには約1800人の社員が在籍していた。堺市の新本社には8月中旬までに経営企画部門など400人が移転する予定で、すでに週明けの先月27日から新本社で業務を始めた人も多い。ただ、大半の部署は移転先が決まっておらず、順次、大阪府や奈良県の工場、大阪市内の貸しビルなどへ移転を進める。

 交通アクセスの良い大阪市の旧本社と比べ、堺市の新本社は最寄り駅から路線バスで約15分かかる大阪湾岸エリア。1日朝に正門前でバスを降りて出勤する社員らは、報道陣のカメラの前を緊張したような面持ちで通り過ぎていった。

 一方、大阪市の旧本社に出勤した兵庫県尼崎市の50代の男性社員は「春先には7月1日に移転すると言われたが、早く勤務先を決めてほしい。移転先が遠ければ、子供の弁当を作れないと心配する女性社員もいる」とこぼした。20代の男性社員は「役員室のある2階はもぬけの空。自分は気持ちを新たにするだけです」と話していた。

 旧本社周辺では、経営危機から出資交渉まで揺れ続けたシャープを見守った地元の飲食店主らが、なじみ客でもある役員や社員らとの別れを惜しんだ。

 昭和45年から地元ですし店を営む後藤象(しょう)次郎さん(73)は「田辺ビルの上にまだ『早川電機』の看板があった頃から、出前の注文をよく受けた。急に研修の社員用に100人前を注文され、慌てた思い出もある。業績好調の頃は田辺ビルの屋上にヘリポートをつけるなんて話もあったのに、もう少し地元で頑張ってほしかった」と寂しげな表情で話した。

 また、近くで喫茶店を営む40代の女性は「経営危機で辞めていく人もいて不安だと思うが、ランチのときに明るくおしゃべりにくる常連さんもいた。出資先が決まり、これから良い方向に進んでほしい」と温かい言葉を寄せた。

 社名の由来でもある「シャープペンシル」の発明で成功を収めた創業者の早川徳次氏は、関東大震災で妻子と工場のすべてを失い、東京から大阪に移って初の国産ラジオを生み出した。新天地で再起を図った創業者の心を胸に、シャープ社員らの再挑戦の日々が始まった。(石川有紀、織田淳嗣)