ソニー電池撤退は必然だったのか 本気で車載用参入せず…創業者の教え?

高論卓説
ソニー本社ビル=東京・港区港南(撮影・古厩正樹、撮影日:2012年4月12日)

 世界で初めてリチウムイオン電池を実用化したソニーだが、事業を村田製作所に売却して撤退することが決まった。需要が大きく付加価値の高い車載用になぜソニーは本気で参入しなかったのか。

 充電により繰り返し使える二次電池の中でも、リチウムイオン電池はエネルギー密度が最も大きいため小型軽量で、電気をたくさんためられるのが特徴だ。開発したのはソニーであり、「1986年頃から中央研究所で開発がスタートし」(ソニー幹部)、91年に商品化に成功する。

 そんなソニーとすぐに手を組んだのは、日産自動車だった。90年秋、米国カリフォルニア州がZEV(ゼロ・エミッション・ビークル)規制を制定。大手自動車メーカーを対象に、排ガスを出さない自動車の販売を、98年以降に一定割合以上に義務付けたのだ。

 ZEVをきっかけに世界の自動車大手は、電動化へとかじを切る。トヨタはパナソニックと、ホンダは三洋電機(現パナソニック)と組み、容量は小さいが低コストで安全なニッケル水素電池を使いハイブリッド車(HV)を90年代に商品化させた。

 ニッケル水素電池を持たないソニーと組んだ日産は、ZEV規制に対応するため97年にプレーリーEVを、98年にはアルトラEVを少量生産し発売する。いずれも正極にコバルト材採用のリチウムイオン電池が搭載された。だが、ソニーはこの直後に日産から離れていく。

 当時はノートパソコン用の需要が拡大していて、「選択と集中から車載向けの大型電池から撤退する決定をした」とソニー関係者は打ち明けた。両社で安全基準とコストをめぐりせめぎ合いがあり、さらに99年には経営危機が表面化した日産がルノーとの資本提携に踏み切るタイミングと重なってもいた。

 日産と別れ、モバイル機器向けにかじを切ったソニーだったが、リチウムイオン電池の高容量化を競う中、2006年には発火事故が相次ぐ。車載用に再参入の意向をソニーが示したのは、09年11月。翌10年7月にも「特徴あるソニーらしい電池で(車載用に)参入したい」(当時の役員)という発言が決算会見で飛び出した。

 実はこの頃ソニーは、オリビン型リン酸鉄を正極材に使ったリチウムイオン電池を開発していた。リン酸鉄は微粒子化が難しく容量は小さいものの、安全性が高く短時間で充電できる特性がある。ソニーは電動工具向けに商品化したが、08年の北京五輪では会場を走る電動バスに使われていた。10年の時点でリン酸鉄の電池を実用化できていたのは中国BYDやソニーなど世界に数社しかなかった。

 しかし、結局ソニーは車載用には入らなかった。その理由について、ソニー関係者は次のように語った。「人命にかかわる事業はやらない。創業者、井深大のそういう教えがあったから」。どうやら、自動車という人命にかかわる分野への熱意は、最初から希薄だったようだ。開発に莫大(ばくだい)な投資をしたのに、ノートPCや音楽プレーヤーなどに用途は限定されていた。撤退は必然だったのかもしれない。

 一方、テスラモーターズのEV「モデル3」の先行予約が短期間に40万台近くに達した。これだけの台数となると、ZEV規制が強化されていく17年後半からEVの乱売や電池の過剰生産に転ぶ心配が膨らむ。ソニー創業者の教えは、いまも何かを予見するものなのか。

【プロフィル】永井隆

 ながい・たかし ジャーナリスト。明大卒。東京タイムズ記者を経て1992年からフリー。著書は「サントリー対キリン」「人事と出世の方程式」など多数。58歳。群馬県出身。