日本郵政 国際経験生かし選択と集中に意欲
リーダーの素顔□日本郵政社長・長門正貢さん
日本郵政社長の長門正貢さんは、34年間の銀行マン時代の大半を国際金融の現場で活躍した。富士重工業でも、北米へのシフトを明確にして事業の選択と集中を進めた。国際事業を新たな収益の柱とし、高コスト体質改善を目指す日本郵便や、マイナス金利で厳しい資産運用を強いられるゆうちょ銀行など日本郵政グループ全体のかじ取り役として、これまでの経験に大きな期待が集まっている。
--日本興業銀行、みずほ銀行時代に海外勤務を経験した
「銀行マン時代の半分強が米国を中心に海外生活でした。原油や鉄など大型プロジェクトファイナンスのための交渉をやっていました。特に、中国の大型炭鉱事業の融資では、4カ月間で成田空港とニューヨークを12往復して交渉に当たりました。なかなか交渉が進まず、調印式の際には涙が出ましたね」
--印象に残る仕事は
「興銀が1986年にA・G・ランストン(米国債専門の証券会社)を買収したときです。準備を経て証券業務のライセンス取得を91年に申請したんですが、人事異動で結果を見ずにいったん帰国しました。日本の銀行の信用は低く、この時は門前払いだったんですが、再び米国に赴任してトライした結果、日本初のライセンスを取得できました」
--苦労もあったのでは
「いい経験となったのは海外で社員を管理する難しさです。ウォールストリートの名門を日本の銀行が買ったということで、トイレに『ジャップ、ゴーホーム』と書いてあったり、机の上を汚されていたりとひどい嫌がらせを受けました。しかし、その会社のために懸命に働いているとわかってもらえたら仲間になってくれました」
--副社長を務めた富士重工業は近年業績を伸ばしている
「『長門さんが辞めたらスバルは良くなった』と、みずほ銀の後輩に冗談で言われるんですが、今も会食する吉永泰之社長には『俺たちが種をまいたんだ』と胸を張っていますよ。経営戦略の方向性は森(郁夫前社長)、長門の時代におおよそ決まったと思っています。米国でもうけていかないと会社が死ぬぞということで米国に特化し、『スバル360』で大成功した軽自動車から撤退するという決断をしました」
--日本郵政のトップとして経験をどう生かすのか
「金融業界での経験が長かったので、事業が今、どういう方向を向いていて、これからどちらに向かえば収益が上がるかを示すことができると思います。それから、富士重での経験も大きかったです。当たり前のことを当たり前にやれば、会社は絶対に良くなるという確信を得られました。郵政グループで選択と集中は簡単ではないですが、矛盾しない経費カットの仕方はあると思います。そこは経験を参考にしていきたい」(大坪玲央)
◇
【プロフィル】長門正貢
ながと・まさつぐ 一橋大社会卒。1972年日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。76年米フレッチャー法律外交大学院で国際関係論修士号を取得。興銀常務執行役員、みずほ銀常務執行役員、富士重工業副社長などを経て2015年5月にゆうちょ銀社長。16年4月から現職。67歳。東京都出身。
◇
≪DATA≫
【早口】「日本興銀三大雄弁家」と称されるほど早口で冗舌。「父親が超早口で。母親も滑舌が良いんです。母親は今でも『父親から電話がかかってきても何を言ってるかわからなかった』と言っています。そういう両親だとこうなっちゃいます。ただ、英語でビジネスの交渉をする際には武器になっていました」
【尊敬する人】「財界の鞍馬天狗といわれた中山素平さんです。あこがれの存在でした。1979年、日本興業銀行相談役の時に米国でスピーチをされる機会があって、スピーチ原稿を頼まれて打ち震えてしまいましたが、手直し無しで読んでもらえました。『貸し出しや支援を始めるなど入り口は簡単、撤退するときなど出口は難しい』などの言葉が印象に残っています」
【趣味】「30年ほど前のニューヨークに赴任中、出社前の朝にジムに行って軽く筋トレをした習慣が今も身についています。大学で書く楽しみを覚えて以来、書くことも好きです。本を読むことも好きなんですが最近は時間がないですね」
【家族】「妻は帰国子女なので、英語がとても得意です。長男、次男ともニューヨーク育ちで、家族は私より英語が上手です。妻がゆっくりしゃべることもあって、息子2人ともしゃべりはゆっくりです」
関連記事