東日本大震災2000日 地道な訪問営業、生保の根幹 原点回帰で貢献

 
仕事に対し葛藤しながらも営業セールスに何度も出向く明治安田生命の営業職員(右=22日、宮城県石巻市

 多くの被害者を出した2011年3月の東日本大震災から30日で2000日。大手生命保険各社は、顧客に対する地道な訪問営業という従来の手法により、顧客の安否確認や保険金支払いの迅速化を果たした。明治安田生命保険を中心に、生保各社のこれまでを振り返った。

 安否確認に役立つ

 東日本大震災が発生した当時、明治安田生命保険社長の根岸秋男(57)は東京本社の執行役営業企画部長だった。根岸は直ちに災害対策本部を立ち上げ、「被災地の営業職員の給与を保障すべきだ」と役員らを説き伏せた。

 災害時でも給与を保障する、という本社の“英断”を受け、営業職員らは顧客の安否確認や迅速な保険金支払いに奔走した。地域に根差したネットワークを持つ最前線の営業職員らは、本社のデータをはるかにしのぐ情報を持つ。震災発生からわずか1カ月半で、顧客の92.8%の安否を確認した。

 「『顧客と対面する営業職員が、経営の根幹を担う』と改めて認識した」と根岸は振り返る。

 根岸は13年7月の社長就任後、矢継ぎ早に顧客目線の経営改革を進めた。高齢者対応や、契約者の連絡先に加え家族などの連絡先を事前登録してもらう制度などは、営業職員の訪問活動なくしてはできない。「全て震災が原点」だ。

 明治安田生命の仙台支社石巻営業所(宮城県石巻市)の支部マネジャー、関谷朱美(48)は、震災発生後、営業所の屋上で暖をとりながら3日間を過ごした。津波に襲われた同市では、死者が3000人を超えた。関谷自身も自宅が全壊したが、顧客約500人の安否確認を行った。根岸の進めた給与保障により「経済的な心配をしなくてすんだのは大きかった」と打ち明ける。

 東日本大震災から2000日が過ぎ、当時の記憶もやや薄らいできた。だが、「ふとした瞬間、嫌でも思い出す」と関谷はもらす。顧客から「息子に生き返ってほしい」などと、悲しみをぶつけられたことも少なくない。「支払いに出向いても『保険に入っていて良かった』とは言われない」と表情を曇らせる。

 何のために仕事をしているのか、という葛藤はいまも続く。ただ、同市内ですし割烹(かっぽう)などを営む伏見不二雄(73)は、関谷の顧客の一人だ。「いつでも顔をみせてくれて、信頼できる関係」と、関谷の存在を心強く思う。こうした顧客の声に支えられ、「普通のことができる状態に感謝する」と関谷は心を奮い立たせている。

 請求当日に支払い

 東日本大震災を機に、他の生保各社もさまざまな改革を進めた。住友生命保険は、顧客中心主義を自らの意思で実践する企業風土をつくるため、職員らの変革とブランド戦略とを並行して進める。また、第一生命保険は、顧客が請求手続きを行った当日に、保険金や給付金を支払うサービスを開始した。日本生命保険も年に1度必ず、契約者の家族に契約内容を確認してもらう仕組みを整えた。

 大震災の発生から76日で、保険金の支払総額は655億円に上った。営業職員らの地道な顧客訪問の活動も評価された。こうした、職員らによる営業態勢は、熊本地震でも大いに生かされた。顧客との接点を大切にし、営業職員を経営の基軸とする。大震災からの2000日は、生保各社が“原点回帰”を進める、大きな転機でもあった。=敬称略(飯田耕司)