(上)拡大路線裏目…「世界6極体制」揺らぐ理念

ホンダ 米国戦略の岐路

 日系初の現地生産

 1989年10月、米オハイオ州メアリズビル。州都コロンバス郊外の小さな町にあるホンダの工場を、創業者の本田宗一郎=当時(82)=が訪れた。約37万平方メートルの広大な敷地を妻、さちとカートを乗り降りして回り、「どうも、どうも」と言いながら笑顔で従業員に近づき握手を求めた。

 視察の遅れを気遣ったさちは途中から、身長約160センチの小柄な身体で動き回る宗一郎のズボンのポケットをつかんで離さなかったという。

 2人に付き添った、工場の現上級副社長、トム・シュープ(56)は「周囲を引き付ける磁石のような人だった」と振り返る。

 78年に設立した同工場は、創業期から世界を見据えた宗一郎の「思い」の象徴だ。70年代に起きた2度の石油危機で、米国ではホンダの小型車「シビック」など燃費の良い日本車の人気が一気に高まり、輸出が急増した。これに対し、米大手ゼネラル・モーターズ(GM)などビッグ3が反発。日米の貿易摩擦が激しくなる中、ホンダは82年に同工場でセダン「アコード」の生産を開始。日系メーカーで初めて乗用車の現地生産に踏み切った。

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 それ以来、「世界に市場を求め、需要がある所で生産する」という経営理念の下、海外展開を進め、現在の四輪車の生産は18カ国・地域、35拠点に上る。2003年には日本や北米、欧州、中国など世界の主要6地域が独自に生産・開発を進める「6極体制」を敷き、北米で人気のスポーツ用多目的車(SUV)「パイロット」など、地域専用車を迅速に供給する体制を確立した。

 しかし、創業期からの理念がいま揺らいでいる。

 「供給能力が過剰になり、収益に影響を及ぼした反省がある」。昨年7月6日、社長就任後初の記者会見で、八郷隆弘はこう述べ、6極体制の運用を見直す方針を示した。

 前社長の伊東孝紳は世界販売600万台を目指したが、拡大路線が裏目に出て、生産能力が余る状態に陥った。17年3月期の世界販売の計画は前期比5.0%増の498万台と好調で、生産能力(555万台)に迫るが、市場が停滞する欧州や日本は依然として能力が大きく需要を上回る。

 このため16年9月中間期の四輪事業の売上高に占める営業利益率は6.4%にとどまり、10%前後を稼ぐ二輪、金融両事業に比べ業績の足かせになっている。

 ギャップを有効活用

 八郷は現地生産にこだわらず、北米で販売が好調な新型シビックの供給について、今年7月に英スウィンドン工場からの輸出を開始。日本からの輸出も検討し「生産(能力)と販売のギャップを有効活用する」として次善の策で収益向上を図る。

 八郷が「6極体制の進化」と語る見直しで、成果を残すことができるかどうか。創業から68年を経たホンダの新たな岐路になる。(敬称略)