丹青社 あらゆる「空間づくり」で感動提供
リーダーの素顔□丹青社社長・青田嘉光さん
商業施設や博物館、展示会などのディスプレーを手掛ける丹青社は、人と人をつなげる「空間づくりのプロ」を自認する。高い知的創造性が求められるため、2015年9月の新オフィスへの移転を機に働き方改革に着手。16年10月の創業70年には創業者精神を継承するため社史を刊行した。美大出身の3代目社長は、文化財保護のノウハウを生かし訪日外国人客向け観光にビジネスチャンスを見いだす。
--本社移転の効果は出ていますか
「創業の地である東京・上野から、アクセスに恵まれ、ヒト・モノ・コト・情報が集まる品川に移転。分散していた事業部門が(ビルの)ワンフロアに集約され、社内コミュニケーションが密になりました。部門間の情報やノウハウの交換も深まったことで、例えば、商業施設の空間づくりに、博物館で培ったエッセンスを盛り込むことができるようになり、思わぬ効果が生まれました」
--働き方も変わりましたか
「創造性と効率性を高めるため、業務の目的や気分に合わせて最適な場所を選択できる多様なワークスペースを用意しました。執務室内に(固定席をなくす)フリーアドレスを導入したほか、チームでディスカッションできる場、一人で集中できるブースなども設けました。また、シフト勤務の適用拡大、在宅勤務の導入などで多様な人材が働きやすく、能力を発揮できる環境をつくりました」
--新たな挑戦にも意欲的に取り組んでいます
「本社オフィスに東大の学術標本を展示しています。これは、東大総合研究博物館との産学連携プロジェクト『モバイルミュージアム』で、21世紀型の(移動式)ミュージアムの実験です。東大との産学連携は15年になります。また、離れていても博物館を体験できるよう、インターネットで東京と宮崎県美郷町、岩手県大槌町を結び、両町のウナギ専門家の話を聴くイベントを開催。地方活性化にも貢献できます」
--観光ビジネスにはどうかかわっていきますか
「地域の宝である文化財を守りながら、(観光客に)見せて、生かすのは得意分野。訪日外国人客が空港に到着してから日本を出発するまで、エンターテインメント施設や店舗、文化、ミュージアムなどあらゆるシーン(の空間づくり)で、胸を打つ時間と感動を提供します」
--創業70年史を刊行した理由は
「当社は創業者の渡辺正治が戦後、百貨店の店内装飾を上野で手掛けたことから始まりました。創業者はどんな気持ちで会社を興したのかという『創業の心』を継承したいとの思いからです。バブル崩壊やリーマン・ショックによる経営危機などもストレートに書きました。若い社員は何も知らずに立派なオフィスで働いていますが、先人の苦労を知ることで自分の立ち位置も分かるはずです」
--社長就任から7年がたちます
「(私自身の)一番の誤算は社長就任でした。プロ経営者ではありませんが、博物館などの空間づくりを手掛ける事業のマネジメントをやっていましたので白羽の矢が立ったようです。リーマン・ショック後の10年に就任し、社内で経営再生プログラムを始動。『日本一元気な会社になろう』と発破をかけました。また、経営ビジョンも刷新しました。それが奏功し、業績は順調に推移しています」(松岡健夫)
◇
【プロフィル】青田嘉光
あおた・よしみつ 武蔵野美術大造形学部卒。1971年丹青社入社。デザイナーとして文化施設、商業施設の空間づくりに多数携わり、97年取締役。常務、専務、丹青研究所社長などを経て2010年2月に丹青社の社長就任。69歳。長崎市出身。
◇
≪DATA≫
【美大出身】高校在学中に1年間入院し病欠。進学校で勉強に追いつけず、思い切って人と違う進路に変更し、美大に挑んだ。「自分としては絵が得意のつもりでしたが、基礎力がなく入学後は苦労しました」。特に、実技の授業で何度も課題を再提出させられたのが、「苦い思い出」。
【異動】入社当時は希望通り商業施設のデザインを担当したが、3年で文化施設の担当に異動。最初に携わった秋田県立博物館では、(集団で狩猟する)マタギのクマ狩りやタカ狩りに同行して取材。水中ボンベを背負って海中での写真撮影も経験した。その後、ブラジル日本移民資料館を担当。顧客との価格交渉などで図面の描き直しを余儀なくされ苦労したが、「手書きで製図するために持ち込んだ3点セット(三角スケール、平行定規、T定規)で乗り切ることができました」。
【プライベートタイム】愛妻に先立たれた現在、休日には、離れて暮らす娘にメールしたり本を読んだりして一人で気楽に過ごす。テキーラやウオッカ、ラムなど強い酒を好む。「出張しても、取引先と飲み屋、ホテルのみの移動でしたので、仕事を辞めたらゆっくり地方を回ってみたい」
関連記事