人を切らないトヨタの家訓「金を使わず知恵を出せ」 背景にたった一度の痛恨事件

提供:PRESIDENT Online
2009年にトヨタ自動車11代目社長になった豊田章男氏。6代目社長の章一郎氏の長男。祖父はトヨタグループ創始者である佐吉の長男で、2代目社長の喜一郎氏。(写真=アフロ)

 豊田家は創業の地である三河という風土の影響を受け、基本的には地味な家風だと言われています。トヨタの本社は愛知県にありますが、自分たちは派手な尾張ではない、非常に質実剛健な三河者であるという考えが今もしっかりと生きています。

 1000億の見積もりを300億にする知恵とは?

 トヨタは「人を切らない」ことで知られています。バブル崩壊後、日本企業の多くは「リストラ」という名のクビ切りを行うことで利益を生み出しましたが、トヨタはたった一度のクビ切りを除いて今日までリストラを行っていません。それは1950年の苦い経験があるからです。その年、トヨタは倒産の危機に瀕し、銀行から融資を受ける代わりに豊田喜一郎の社長退陣と、1600名の解雇を行った。これは「社員は家族であり、会社の宝である」と従業員を家族のように大切にする「温情友愛」を旨とした喜一郎にとっても、トヨタの役員にとっても痛恨の出来事でした。以来、トヨタは危機に陥らないように努力を続けています。

 この考えをトヨタに徹底したのが、喜一郎に代わって社長に就任した石田退三です。石田には「自分の城は自分で守れ」という有名な言葉があります。国の助けなどに頼るのではなく、自主独立、自力邁進で道を開くという考え方です。それが資金面においても徹底され、ムダを省いて自前の資金を蓄えた結果、「トヨタ銀行」と呼ばれるほどの豊富な資金力を持つことにつながったのです。

 今でこそトヨタの本社は立派な高層ビルですが、数年前までは「えっ、これが本社?」というほどの建物でした。工場や設備にはお金をかけても、本社や事務関係にはお金をかけない風土がトヨタの「質実剛健ぶり」をよく表しています。倒産の危機に瀕した際にお金に困った苦労が今も身に沁みているのです。

 東日本大震災2年後に計画された東北工場を造る際は、当初1000億程度の見積もりがなされていました。しかし、章男社長の「そんな馬鹿なことはない。知恵を使え」という指摘で、改善によって約200億~300億円ぐらいまで予算を詰めたといいます。

 トヨタでは、「改善は知恵とお金の総和である」と言います。総和というのは足し算。つまり、お金をかけずに知恵を出せということです。コストを抑えることを日々の改善で行っている。いわば、トヨタ式というシステムそのものに家訓が組み込まれているのです。それが豊田家の家訓が今も生きている理由です。

 章男社長の父親である豊田章一郎名誉会長に「豊田家の全財産を失っても納屋だけは守れ」という言葉があります。「納屋」というのは静岡県湖西市にある豊田佐吉記念館に保存されている佐吉の生家と納屋のこと。佐吉は大工である父親の仕事を手伝いながら、納屋にこもって織機の研究と改良に励むことで「自動織機」を発明しました。この納屋こそがトヨタグループの原点。トヨタはそれを今も大切に保存するだけでなく、トヨタグループの社員は定期的に見学に訪れます。トヨタ式の基本にあるのは創業者である佐吉、そして喜一郎の考え方なのです。

 トヨタでは「人間尊重」ではなく「人間性尊重」という言い方をします。

 「人間尊重」とは人間を大事にするということですが、「人間性尊重」というのは人間の考える力を大事にするということ。トヨタは非常に言葉にこだわる特異な会社であり、言葉によって過去の苦い経験をきちんと次世代に受け継いできたのです。

 トヨタは社員ほか協力会社に対しても「共存共栄」を重視しています。それには次のような言葉があります。

 「安く買うな、安く売れるようにしろ」。例えば、協力会社に対し「毎年何%か安くしろ」と迫ったとしても簡単ではなく、本当にやろうと思ったら人を減らしたり、何か無理をしたりしなければなりません。しかし、それではダメだということで、トヨタマンを協力会社の工場に出向のように派遣して、そこで生産改革をして安くつくれるように指導することをやってきました。トヨタ式はトヨタだけではできません。協力会社もすべて巻き込まなければできないことなのです。

 改善はいつやるのがベストか?

 トヨタの改善は今あるものを「よりよく」変えていくだけでなく、大きな課題を掲げて一気に変えていく改善も含みます。それを象徴するのが、「常に時流に先んずべし」という言葉です。その代表的なものが世界初のハイブリッドカー「プリウス」であり、世界初の燃料電池車「MIRAI」になります。こうした世界をリードする技術をGМやVWのように「お金で買う」のではなく、「自前で育てる」というのがトヨタの流儀です。佐吉には「沈鬱遅鈍」という言葉があります。この言葉は、世の中に商品として出すためには、事前に万全の準備・研究をしなければ出してはならないということを表しています。トヨタは決まるまでが長く、決まれば動きは速いとよく言われます。これは「早く気づいて、十分な時間をかけて検討し、ライバルよりも速く出せ」という考えがあるからなのです。

 しかも「改善は景気のいいときにやれ」という言い方をします。普通なら景気がいいときは改善したくないはず。でも、トヨタは現状維持を極端に嫌うんです。景気がいいからこそ、失敗してもやり直せる。何があってもお金に余裕がある。だから、反対も少ないということなのです。

 トヨタはムダを嫌いますが、ケチではありません。だから、「経費を削減しろ」とは言いません。「経費を改善しろ」という言い方をします(笑)。だから、トヨタの人がある会社に行って再建を任されたときに人を切ることはしない。

 こうした考え方を非常にうまくトヨタ式に組み込んだのが、大野耐一です。大野は紡績出身ですから、佐吉の影響を非常に受けています。敗戦後に喜一郎は3年でアメリカに追いつけと言いました。でも、当時日本とアメリカの生産性は9倍も違った。そこで普通なら日本人は9倍働くとなるのですが、大野は「9倍差があるということは、日本には9倍のムダがある」という発想をした。アメリカと同じような給料が払えるようにするにはムダを省くしかない。9倍のムダと読み替えたところが大野のすごさです。それはおそらく誰にもなかった発想でしょう。

 もともと大野は紡績工場をやっていました。昔の紡績工場では若い女性が働いています。若い女性がたくさんの機械を持って効率よく働き、戦前に世界一になった。それと比べて自動車工場のつくり方はどうもおかしい。自動車の素人だったからこそ、生産性を改善できたということを自分でも言っています。敢えて素人の目を持ち込んだことで問題点を把握できたのです。

 トヨタがよかったのは、紡績で一回成功して、その発想を自動車にも持ち込んだことです。だから通常の自動車メーカーではクルマをつくるときに生産ラインを止めるという発想はないわけです。ところが、トヨタの紡績では当たり前のことだった。一人の人間がたくさんの機械を持つのは当たり前、不良品が出たら機械を止めるのもごく当たり前。紡績で働いていたのは、みんな地方から来た若い女性ですから、素人を使って世界で戦えるシステムをつくっていた。紡績で世界を経験したのが大きかったのだと思います。

 どれをもって家訓と言うかが非常に難しい会社です。佐吉の考え方、喜一郎の考え方、紡績での経験、いろんなものがうまく結びついた家訓や教訓が一体となって、今のトヨタ式に結実した。それを今も守っているから、トヨタでは家訓が今も生きている。だからこそ、トヨタは家訓を会社のシステムにまで高めた会社として、ほかにないユニークな会社と言えるのです。

▼豊田綱領

 一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし

 一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし

 一、華美を戒め、質実剛健たるべし

 一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし

 一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

▼トヨタ流の考え方

 ・自分の城は自分で守れ

 ・改善は知恵とお金の総和である

 ・豊田家の全財産を失っても納屋だけは守れ

 ・人間性尊重

 ・安く買うな、安く売れるようにしろ

 ・沈鬱遅鈍

 ・改善は景気のいいときにやれ

 ・経費を改善しろ

 ・9倍差があるということは、日本には9倍のムダがある

 ジャーナリスト 桑原晃弥

 1956年生まれ。元トヨタ自動車社員でカルマンを設立した若松義人氏(故人)とともに、トヨタ関連の取材を多く担当してきた経済ジャーナリスト。著書に『トヨタ 最強の時間術』『スティーブ・ジョブズ 驚異の伝説』ほか多数。

 (ジャーナリスト 桑原晃弥 構成=國貞文隆 写真=ロイター、アフロ)