日本海縦貫に電力確保の壁 JR貨物 異常時対策の苦悩

被災地へ 石油列車
JR貨物本社の指令室。左が室長を務めた安田晴彦さん=2011年3月(ジェイアール貨物・リサーチセンター提供)

 東京貨物ターミナル駅(品川区八潮)には多くの貨物列車が往来し、コンテナの積み下ろしを待つトレーラーが周辺の道路まで列をなす。

 「この時期になると思い出しますね」。駅長を務めるJR貨物の安田晴彦さん(48)は、東北への物流再開に奔走していた6年前を思い出す。安田さんは当時、指令室長として寸断された鉄道の物流網再建に全力で当たっていた。東日本大震災後、わずかな時間で東北に石油を運んだ取り組みは高く評価されたが、実際には退役間近の機関車やタンク貨車をかき集め、運転士も再教育するなど急場の輸送作戦だった。

 あのとき使用した古い機材の多くが、今はもうない。次の災害に万全な体制といえるのか自問することもあるという。

 2011年3月11日。東京・新宿駅近くにあるJR貨物本社ビルでは、運行状況などについて断続的に会議が開かれていた。前日に千葉県成田市で貨物列車の脱線事故があったため、乱れた運行ダイヤの回復策なども議題となっていた。

 ◆物流が完全停止

 そして午後2時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生。JR貨物の本社ビルもひどい横揺れに襲われた。「経験したことのない大きな揺れが長く続き、ただごとではないと感じた」。安田さんは机の下に隠れながら緊急災害時の対応手順を頭の中で反芻(はんすう)していた。

 全国を網羅するJR貨物の輸送システムはこれまで幾度も大規模災害に見舞われてきた。復旧の手順はマニュアル化されている。揺れが収まると同時に指令室長の安田さんに異常時対策の職務が与えられる。社内の各部門のリーダーらが続々と指令室に集結してきた。

 震源は宮城県沖だが、津波警報が全国で発令されたため、すべての鉄道が停止を余儀なくされた。日本の鉄道物流が完全に止まった瞬間だった。

 津波で東北太平洋岸の主要港は壊滅。仙台空港なども被害を受け海路、空路も遮断された。東北自動車道も破損が伝えられた。

 「人員の安全を確認してくれ」。安田さんの指示に現場にいた職員が電話に飛びつく。JRグループ内でのみ使われる鉄道電話だけが通じたが、それでも宮城県石巻市などの拠点とは連絡がつかず、数日にわたり安否が確認できない職員もいた。全国で運行中の貨物列車の所在確認が行われたが、津波被害を受けたエリアからは当初、情報がほとんど入らなかった。

 ◆原発事故で暗転

 同社の主力は本州-北海道便だ。通常、関東と北海道を結ぶのは東北本線で、西日本と北海道は主に新潟を経由し日本海縦貫線が用いられる。東日本大震災では東北本線の被害が大きかったが、新潟-青森間の日本海縦貫ルートは被害が小さかった。

 震災翌日の3月12日、安田さんは部下に「日本海縦貫を使った迂回(うかい)ルートを検討してくれ」と指示を出す。迂回が実現できれば、東北への緊急物資輸送にも使えるからだ。

 その希望の光は、東京電力福島第1原発事故で暗転する。事故により電力需給が逼迫(ひっぱく)したため、東電がエリアごとに順次電力供給をとめる「輪番停電(計画停電)」の実施に踏み切る。JRグループは当初、自社で保有する水力発電などで運行に必要な電力を確保できるとみていたが、踏切や信号などの保安機器は東電からの電力に依存している。結局、計画停電の実施エリアで列車を走らせることは困難となった。

 被災地では多くの人が避難所に身を寄せ、わずかな食料の配給にも列をなしていた。

 「寒いだろうに…」。何か運べないのか。萎えかけた“鉄道マン魂”に火がついた。