イワタニのカセットコンロが今も売れ続ける理由 “かゆいところに手が届く”モノづくりの軌跡
《今では当たり前のように家庭で使われているカセットコンロを、業界で初めて発売したのが岩谷産業だ。もう半世紀近く前に誕生した商品だが、いまだに年間約70万台売れているという。そのワケとは……。[伏見学,ITmedia]》
いきなり季節外れの話題で恐縮だが、読者の皆さんは鍋料理がお好きだろうか。最近は豆乳鍋やトマト鍋、カレー鍋など、毎年のように新しいトレンドが生まれては、食卓を大いに賑(にぎ)わしている。
では、皆さんは自宅で鍋料理を食べるときに何を使って具材を温めているだろうか。恐らく多くの人が「カセットコンロ」と答えるはずだ。
今でこそ当たり前のように使われている便利なカセットコンロだが、以前は家で鍋を食べるにも一苦労だった。戦後しばらくは一般家庭にガスはほとんど普及しておらず、火を起こすのは薪と炭を使うのが基本だった。そのため、鍋料理を食べるときは台所で調理し、材料を煮込んで完成させてから食卓へ運んでいた。
その後、家庭にもガスが広がると、食卓にコンロを設置してガスの元栓からホースをつなぎ、コンロの上に鍋を置いて食べるようになった。コンロが内蔵されたテーブルも多くの家庭で使われていたようだ。ただし、ホースの長さが限られていて不便だったり、ホースが邪魔になって足などを引っ掛けてしまう危険性があり、安全面でいろいろと問題があった。
そうした家庭の食卓の風景を一変させたのが、岩谷産業の卓上ガスコンロ「カセットフー」だ。上述したような課題を感じていた同社創業者の岩谷直治社長が発案、1969年に製品化にこぎつけた。ちなみに、岩谷氏は戦後、日本の家庭向けにLPガス(プロパンガス)を初めて販売した人物でもある。
岩谷産業のカセットコンロは、その後、競合が相次いで市場参入してくるも常に先頭を走り続けた。現在、カセットコンロ関連市場は年間約240万台の販売規模で、そのうち65%のシェアを岩谷産業が占めている。さらにカセットフーだけでも約70万台売れているのだ。
なぜ今なお岩谷産業の商品は売れ続けているのだろうか。そこには単なる先行者利益にとどまらない、消費者の“かゆいところに手が届く”ような、きめ細やかなモノづくりの軌跡があるのだ。
殺虫剤をヒントにガスボンベを小型化
業界で初めて岩谷産業が開発したカセットコンロの着想になったのは、スウェーデンの燃焼器具メーカー、プリムス(PRIMUS)が製造していた登山・アウトドア用のガスバーナーだった。元々、ヨーロッパでは登山がスポーツとして深く根付いていて、例えば、アルプス山脈で登山者が煮炊きしたり、暖をとったりする手段としてガスを燃料として使う習慣があった。
それを目の当たりにした創業者の岩谷氏は、持ち運び可能なこの製品とコンロを一体化できないものかと考えた。そうすれば、ホースを引かなくても食卓の上で手軽に鍋やすき焼きができる。
そこで取り組んだのがガスボンベの小型化である。それまで家庭でよく使われていたガスボンベは、小さいと言っても重さが1キログラムあるだるま式のものだった。しかも使用するには、販売店でガスを充填(じゅうてん)してもらい、家に持ち帰って、ホースにつなぐという手間がかかったのだ。その煩わしさから消費者を解放するために、既にガスが充填してあり、使い捨てできるガスボンベを作ろうとしたのである。ヒントにしたのが缶の殺虫剤だ。それから現在までガスボンベの形はほぼ変わっていない。
実は商品のアイデアに匹敵するくらい岩谷産業にとって大ごとだったのは、ビジネスモデルを一変させたことである。ガスを扱う会社にとって、ガスは容器に充填して顧客に販売し、空になった容器を回収して、充填、再び販売することで商売が成り立っていた。「当時のこの常識から考えて、容器は使い捨てで、回収しないというのは、相当大きな発想の転換が必要だったようです」と、岩谷産業 総合エネルギー事業本部 カートリッジガス本部 CS推進部の福士拡憲担当部長は述べる。
こうして1969年に発売となったカセットコンロだが、当初はあまり売れなかった。その理由は販路が限定されていて、町の金物屋、ガスの販売店などにしか置かれていなかったため、一般消費者への認知が著しく低かったからだ。そこで販路拡大に力を入れ、百貨店などへの提案を始めた。そして当時急拡大を遂げていた大型スーパーマーケットで取り扱いが始まると消費者の目に止まることとなり、一気に売り上げを伸ばしたのである。
また、1978年に発生した宮城県沖地震の際、被災地で備蓄燃料としてその必要性が発揮されたことによって、災害時に不可欠なアイテムとしての認知も高まった。
そうしたさまざまな要因によって、ガスボンベは83年に累計販売本数が1億本、カセットフーは翌84年に1000万台を突破した。
ガスボンベの冷却を防げ
ただ一方で、ユーザーから不満の声も挙がっていた。最も大きかったのは火力の問題である。当時のカセットコンロの発熱量は1600kcal/h。これは現在の3分の2ほど。福士氏によると、2000kcal/h以下だと水を沸騰させるのも大変だという。なぜ火力を高められなかったかと言うと、当時のガスコンロの設計上、使うとガスボンベのガスがすぐに冷却されてしまったからだ。岩谷産業はガスボンベをどうすれば冷えないようにできるか知恵を絞った。そこで改良を加えたのが、ボンベとコンロの間をパイプでつなぐことである。ヒートパイプの開発である。
ヒートパイプとは、熱伝導に優れた素材を使ってコンロの燃焼熱がカセットボンベを温め、ガスの気化を促進するもので、ガスの残量が少なくても強い火力を維持し、ガスを最後まで使い切ることができるようになった。
このヒートパイプによって一気に冷却せず、ボンベの熱を維持することができ、効率的にガスを使うことができるようになった。結果、ガスボンベの発熱量も2000kcal程度にまで高めることができた。しかしまだ課題も残っていて、ヒートパイプで使用する素材は高価だったため、量産化は難しかった。そこで生まれたのが現在も使われているヒートパネルである。これは熱伝導しやすい別の安価な素材を使ったもので、この開発によって92~3年ごろから岩谷産業はカセットコンロの量産体制に入り、販売台数を一気に伸ばしていったのである。
アウトドア専用や焼き肉専用の商品まで
このように、他社に先駆けて技術的な基盤を固めた岩谷産業だったが、さらにユーザーからの要望が出ていた。それは屋外でカセットコンロを使うと、風などの影響を受けて火が弱まり、使い物にならないという。90年代半ばの当時はアウトドアブーム。RV車なども登場して、人々はこぞってキャンプなどに出掛けた。そこでカセットコンロを使いたいという需要があったのだ。
ユーザーの声を受けた岩谷産業は屋外で使える、特に風に強いカセットコンロの開発に乗り出す。完成したのは「カセットフー 風まる」だ。この特徴は風を防ぐために二重構造になっている一方で、火を付けるために必要な空気が入る穴を設けている点である。また、火力は3000kcal/hと、一般的な家庭用ガスコンロと同じ強さに仕上げた。
この商品を契機に、岩谷産業はユーザーのニーズに応えるような商品ラインアップを拡充していく。それが可能になったのは、何と言ってもカセットコンロに関する基礎技術を確立していて、他社がまねしようとしても難しかったからだ。その後、カセットコンロ自体を小型化した一人向け商品や、たこ焼き専用コンロ「スーパー炎たこ」、炉端焼き用コンロ「炙りや」などを相次いで発売した。
その中で2016年に発売した焼き肉専用コンロ「焼まる」は大ヒットとなった。従来、家庭で焼肉をやる際にはホットプレートを使うのが一般的だったが、どうしても煙の問題があった。これを改善しようとしたのがこの商品だ。
鉄板の表面温度を通常のものよりも下げる一方で、鉄板の回りに水を入れた溝を設け、焼肉の油がスムーズに流れるようにデザインを改良した。これは逆転の発想で、今までなら火力を強め、どんどん鉄板温度を上げていったのだが、あえて温度を下げる方法を取った。ただし、あまり下げてしまうと今度は肉が焼けないので、最適な温度を繰り返し実験したという。「豚トロを何枚食べたか分からない」と同商品の開発に携わった福士氏は振り返り笑う。
なぜ岩谷産業はここまでユーザーのニーズを細部にわたるまで汲み取り、商品開発につなげられるのか。その秘けつは、コンタクトセンターと商品開発部門が同じセクションにあり、顧客の声がすぐさま商品開発担当者に伝わる仕組みがあるからだ。消費者との距離が近く、現場感を持って商品開発できるのも岩谷産業の強みである。
カセットコンロ業界の先頭をひた走る岩谷産業。今後も「こんなアイテムがほしかった!」と消費者を唸らせるようなアイデアを期待したい。
関連記事