幻に終わった北上線構想 奥羽山脈が壁、後に生きた下準備

被災地へ 石油列車
機材調達を担ったJR貨物の松田佳久さん

 JR貨物では京浜地区から石油を積み込み、上越線を経由し日本海縦貫線で東北に向かう迂回(うかい)輸送計画が進行していた。目的地は被災地に近く、内陸型油槽所が整備されている岩手県の盛岡貨物ターミナル駅だ。

 日本海縦貫線は西日本-北海道間の物流で使用している。このため、内陸部の盛岡へ向かう貨物列車のルートは決まっていない。国土交通省鉄道局からは「北上線を使用するのはどうか」との提案があった。

 北上線は秋田県横手駅と岩手県北上駅を結ぶ路線で、日本海縦貫線からは秋田駅で東に向きを変える形となる。奥羽山脈を横切る険しいルートだ。「通れないことはない。ただ…」。JR貨物の指令室長(当時)で迂回輸送計画を統括する安田晴彦さんの表情が曇った。

 北上線は、以前はコンテナ貨物列車が走っていたが、1年ほど前に撤退していた。勾配やカーブがきつく、牽引(けんいん)する貨車を相当減らして運んでいた記憶があった。通常の石油列車だとタンク貨車を20台は牽引するが、北上線だと数台が限度。被災地の石油需要に見合う輸送効果を上げられるのか。

 DD51を集めろ

 北上線が非電化区間だという問題もあった。全国のほとんどの路線が電化されている現在、主流は電気機関車だ。非電化区間は内燃機関で走るディーゼル機関車を用意する必要があり、運転士や保守技術者の確保も格段に難しくなる。

 機関車や貨車など機材調達を担う車両検修部にも、北上線構想の情報が入った。機関車グループのリーダーだった松田佳久さんも構想を聞いた際、耳を疑ったという。ただ、機材調達はもっとも時間のかかるセクションだけに、輸送計画が固まるのを待ってはいられなかった。 「DD51をできるだけ集めてくれ」。松田さんは部下に指示を出した。DD51とは、国鉄時代から使われてきた古いタイプのディーゼル機関車だ。これなら非電化間でも走行できる。また、国鉄時代に導入された機関車や貨車は、基本的に全国どこの路線も走れる仕様で、入線確認などの手間を減らすことができる。松田さんのグループは、DD51の所在確認から検査場の選定、保守技術者の確保などを進めていく。ただし、DD51は現存車両が少なく、ほとんどが退役し解体を待つ身だ。「本当に走れるのか」不安は消えなかった。北上線構想は結局実行されなかったが、この時の松田さんらの準備がのちに役立つことになる。

 史上最長の1030キロ

 北上線構想と同時並行で、日本海縦貫で青森まで北上し、そこからUターンして盛岡を目指すルートも検討されていた。青森から八戸までの「青い森鉄道」、八戸から盛岡までは「IGRいわて銀河鉄道」と、第三セクターが管理する線路を借りることになるが、このルートなら電気機関車が使える。ただ、震災後の混乱や慢性的な人手不足も影響し、各三セクからは線路の被害状況などの情報がなかなか送られてこない。修繕に時間がかかるようなら、諦めざるをえない。

 行程の長さも問題だ。石油列車の走行距離は長くても200キロ程度だ。仮に製油所の集中する根岸(横浜市)を出発点とすると盛岡まで、青森経由だとおよそ1030キロ。鉄道貨物の歴史上、こんな長距離の石油輸送は前例がない。安田さんはなかなか決心ができずにいた。

 そんな折、三セク側から線路の損傷がほぼなく、走行に支障なしとの連絡が入った。経路の長さは、運転士をこまめに交代させることで対応する。「よし、北上線はなし。青森経由で盛岡まで走らせよう」。安田さんが号令を出した。3月16日だった。