サッポロビールの高島社長 「良い提言・不平不満なら即対応」
リーダーの素顔■サッポロビール社長・高島英也さん
ビール市場が縮小する中、サッポロビールの主力ビールブランド「黒ラベル」の販売は、2年連続で前年実績を上回るなど好調だ。ただ、ビール類のシェアは4位に甘んじており、高島英也社長の手腕が試されている。
--サッポロビールに入社したきっかけは
「ビール会社は格好いいというイメージがありました。就職案内本で当時の河合滉二社長の写真を見て、柔道かラグビーをやっていたなと感じました。(ラグビー経験者として)風通しが良さそうな印象を受けました。ここなら自分が生きる道があるかもしれないと直感的に思いましたね」
--入社後の配属先は
「最初の6年半は仙台工場醸造課でビール造りをしていました。原料の見立てや配合、仕込み条件の決定をはじめ、発酵・貯酒・濾過(ろか)などを担当していました。厳しく指導してもらい、基礎をたたき込んでもらいました」
--会社人生の転機は
「大阪工場での失敗が一つの転機です。当時の業界は多品種化が進みつつありましたが、生産部門の対応が追いついていなかった。いつの間にか、若手5、6人が集まり、課題解決を自主的に考えて行動に移すチームが立ち上がりました。工場長がそれに気づき、『もっと多くの社員を参加させなさい』と指示を受けましたが、考えが違うメンバーが増え、議論が深まらずに頓挫しました。何か新しいことをやるには、思いのあるメンバーが自然発生的に集まることが必要条件だと学びました」
--なぜ、大阪時代に会社を変えたいと思ったのですか
「29歳のときに結婚し、会社での自分の存在がみえるようになり、上司に自己主張するようになりました。入社時のビール市場シェア2位から落ちていく頃でした。味は全く負けていないのにシェアが落ちる。『われわれは悪くない。悪いのは営業だ』という風潮が工場内にありました。だが、工場にも実は課題が多くあった。そんな状況が悔しくて、何とかしたいと思っていました」
--よく潰されずに、社長にまでなれましたね
「節目節目で多くの人に助けていただきました。会社を良くしたいという思いが強くあって、さまざまなことを手掛けたのは確かですが、そんな行動を寛容な気持ちで見守ってくれた人たちがいたのかもしれません」
--若手に望むことは
「会社に対する課題や不平不満でもいいので、内に込めず外に吐き出してほしいですね。そういう声に耳を傾けたい。良い提言や不平不満なら、すぐに手を打ちたいと思います。声をかけてきてほしい」
--ビール類のシェアは4位ですが、これからどう巻き返しますか
「シェア、利益などの数値目標だけで人を動かそうとは全く思っていません。その前に自分たちは何をやりたいかが大事です。尾賀真城前社長(現サッポロホールディングス社長)の路線を継承し、黒ラベルとヱビスのブランドをより強くしたいです。黒ラベルの販売が伸びて、明らかに社員に自信が出てきました。黒ラベルの販売数量は3年連続で前年比増を目指します」(黄金崎元)
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【プロフィル】高島英也
たかしま・ひでや 東北大農卒。1982年サッポロビール入社。仙台工場長、取締役兼執行役員経営戦略本部長、常務執行役員北海道本部長、ポッカサッポロフード&ビバレッジ取締役専務執行役員などを経て、2017年1月からサッポロビール社長。福島県出身。
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≪DATA≫
【家族】妻と1女。妻とは同郷で大学時代の同級生だったが、「体育会系のラグビー部に所属し、女性に奥手で話したことがありませんでした」。就職した後に共通の知人を介して交際に発展、半年後に結婚した。
【黒ラベル推し】北海道本部長時代には「黒ラベル」Tシャツを着て通勤していたこともある。「世界一おいしいビールで缶のデザインも格好良く、多くの人に知ってもらいたいと思いました」。本社でも着たいが、気合を入れて空回りしていると思われるのも嫌なので今は控えている。
【趣味】燻製(くんせい)づくり。最近は豚の肩ロース部分を燻製にして、酒のつまみとして妻とともに味わう。
【好きな言葉】ものづくりの「造」という一文字。「造ることはとても大変で奥が深く、同時に進化が重要で自己満足にならないことが大事です」
【影響を受けた本】塩野七生氏の「ローマ人の物語」。「ローマ帝国の繁栄の歴史には独特な寛容さがありました。相手を受け入れる寛容さが大切で、それは自分を壊す勇気でもあります。ビジネスでも同じ」と語る。
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