難所に挑むベテラン運転士 急勾配・カーブ 磐越西線で輸送
被災地へ 石油列車福島県にある郡山貨物ターミナル駅(郡山タ駅)。首都圏方面、仙台方面から貨物列車が乗り入れてくる、物流の要衝だ。JR貨物の郡山総合鉄道部には約20人の運転士が所属している。その中の一人、遠藤文重さん(当時53歳)は震災当日、非番で自宅にいたところ激しい揺れに襲われた。
非現実的なルート
「東北本線の黒磯以北の施設が大きく損傷した。当分走れないから」。翌日、運転士の詰め所で、運転課長は当面の自宅待機を告げた。遠藤さんは自宅と両親のいる避難所、職場を巡回する日々が続いた。
「聞いたか? 石油列車が青森を通って盛岡に来るってよ」
震災から数日後、臨時石油列車の情報が入ってきた。「じゃあ、郡山にも来るのかね」
「東北本線はだめだぜ」「新潟から磐越西線じゃないのか?」「まさか」。運転士仲間の話題はいつしか郡山行き石油列車でもちきりになった。
遠藤さんは「磐越西線ルートはあり得る」と思った。2004年の中越地震の際、磐越西線で救援物資を被災地に届けた経緯があり、遠藤さんも運転士の一人だった。ただ、石油列車となれば重量も重く、安全面も含めハードルは高いはず。急勾配、急カーブが続く磐越西線での大量石油輸送は非現実的に思えた。遠藤さんは国鉄時代、冬の磐越西線で客車を運転中、車輪の空転で動けなくなった嫌な思い出もあった。
一方、JR貨物本社では磐越西線での石油輸送計画が固まりつつあった。根岸で石油を積んで新潟貨物ターミナル駅を経由し、磐越西線方面へ向かう。磐越西線は非電化区間があるため、新潟タ駅で電気機関車からディーゼル機関車DD51に切り替える。会津若松駅から東側が山岳エリアで、急勾配と急カーブが待ち構える難所。DD51を2台連結し馬力を倍増させるが、それでも牽引(けんいん)できるタンク貨車は通常の半分、10両が限界だ。
「よし。大筋この方向で進めてくれ。運転士の確保は?」
異常時対策を指揮する安田晴彦さんが運用チームに聞く。「DD51と磐越西線、両方の経験がある人が望ましい。ただ、現役でDD51を運転している人は少ないので再教育が必要だ。稲沢機関区(愛知県稲沢市)で対応できる」「すぐに手配を」。そんなやり取りが続いた。
「磐越西線で石油を運ぶことが決まった」。運転士が集められた郡山総合鉄道部。運転課長が計画の概要を伝える。「機関車はDD51を使うそうだ。本社からは志を持って運行してほしいとのことだ」。ざわめく会議室。運転士の選定が始まった。
人選が難航
DD51の運行は、新潟から会津若松までを東新潟機関区の運転士が担い、会津若松から郡山までを郡山総合鉄道部の運転士が担当することになった。東新潟機関区は規模も大きく、DD51の運転士はすぐに確保できたが、郡山側では人選が難航した。遠藤さんを含め郡山所属の4人が選ばれたが、講習会直前に1人が辞退を申し出た。インフラが途絶え、自宅の水や食料を運ばなければならないとの理由だった。
「欠員が出たんだ。悪いがナベさん、いってくれないか」。運転課長から電話を受けたのは定年まで1年を残すベテラン運転士、渡辺勝義さん(当時59歳)だった。ここ数年は駅構内での貨車の入れ替え作業を専門にしていた。「俺にまで回ってくるとは…」
DD51を運転したのはもう10年以上前。力士のような馬力を思い出す。「もう一花咲かすか」。渡辺さんは拳を握った。
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