【終活の経済学】お寺のトリセツ(1)よく知って上手に関わろう

 
法話を聞く人々

 生・老・病・死に寄り添う仏教

 「お寺はもういらない」という声が聞こえてくる。それほど「お寺離れ」や「僧侶不信」は深刻だ。

 しかし、仏教やお寺、僧侶は、本来は人間の「生」「老」「病」「死」のあらゆる局面で多くの人の人生に関わってきたはずだ。何より「お寺」と「お寺が持つコミュニティー機能」は、私たちの先祖が守り維持してきた貴重な社会資産でもある。「生」「老」「病」「死」、それぞれの局面で上手にお寺や僧侶と関わってみよう。

 コンビニより多い

 諸説あるが、日本に仏教が伝来したとされるのは538年。1500年近くも前のことだ。以来、神道や民間信仰と習合・分離しながら、そして教派・教団の興隆と衰退を繰り返しながらも広まってきた。

 文化庁が毎年発表している調査報告『宗教年鑑』(平成30年度版)によると、仏教系の宗教法人数は7万7112法人。神道系の8万4733法人に次ぐ2番目の数になる。この数は、全国のコンビニ各チェーン店の合計数よりも多い。そんなにあったのかと疑問に思う人もいるだろう。

 仏教徒、日本人の8割

 意識されていないということは、コンビニよりも存在感が圧倒的に薄いのだろう。郵便局や警察署(交番)などと比べても、お寺はその数の割に、存在感の薄さが際立っている。

 宗教法人数は2番目だが、「教師数」では神道系7万1142人に対し仏教系35万5886人と、およそ5倍。布教する人たちの数は圧倒的に仏教が多いということだ。ちなみに神社は1人の神主さんがいくつもの神社を管轄しているので、一見こういう数字になる。

 信者数になると法人数に比例して、仏教系が8500万人以上、神道系が8600万人以上となる。信者数の合計が日本の人口を超えてしまうのは、信者の定義が各宗教団体によって定められ、初詣に行く人も神道の信者として重複カウントされているためだ。いずれにしても、統計上は日本人の8割ほどが仏教徒であるとされている。

 新宗教の中にも仏教の教えを説く大教団があるので、実際の仏教徒勢力は8割以上ということになる。

 文化資産の宝庫

 寺院は文化資産の宝庫でもある。仏像は全国に30万体以上あるといわれ、世界遺産でもある奈良県斑鳩町の法隆寺は、世界最古の木造建築物として知られる。仏教が栄えた鎌倉期や江戸期創建の伽藍(がらん)が、火災や震災に耐え、そのまま残されているところも全国には無数にある。地域の歴史をそのまま詰め込んだタイムカプセルのようなものだ。それらに現代でも触れられるのは、私たちの先祖が、一心にお寺を守り続けてきたからでもある。

 それほど「丸もうけ」でない お布施、戒律… ありがちな誤解

 「坊主丸もうけ」など、世間からケチョンケチョンに言われることが多いお寺や僧侶。でも、誤解も多い。寺や僧侶が受けがちな誤解についてまとめてみた。

 「布施」や「戒名料」といったお金は、税務上は僧侶の収入にはならない。『宗教法人』であるお寺の会計に入ることになる。そして、そこには税金はかからない。「お守り代金」「賽銭(さいせん)」なども同様に扱われる。お寺の土地などにかかる固定資産税も免除されている。

 税金がかからない根拠は、(1)憲法が「信教の自由」を保障している(2)活動に「公益性」がある(3)布施や戒名料は、「売り上げ」ではなく「宗教行為」である、といったところに求められる。

 一方、「月極駐車場」や「自動販売機」、宗教法人本来の活動に資さない「物販」収入に対しては法人税がかかる。宗教法人への税務署の立ち入りも、一般企業同様に行われている。

 ▽お坊さん個人の給料は課税対象 誤解を受けやすいのだが、お坊さんが寺から受け取る収入(給料)は、サラリーマン同様に税金がかかっている。お坊さんも所得税、住民税などは払っているのだ。個人的に使っている乗用車関係の税金も全部払うことになる。

 地方の寺などは檀家も少なく、苦しい寺院経営を迫られている僧侶が圧倒的だ。一方で、少数派ではあるが、檀家が多く裕福な寺の僧侶の中には、銀座や祇園で豪遊するなどぜいたくな暮らしをしている者がいることも事実だ。趣味で乗る車を、個人所有ではなく、宗教法人の所有にしているケースもあるようだ。

 ▽飲み食い、妻帯、長髪はなぜ? 僧侶の「肉食妻帯」を認めたのは明治政府だった。1872(明治5)年、「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」(今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は勝手たるべき事)という太政官布告が出された。僧侶の世俗化を進めることで、明治政府が仏教の弱体化を狙ったとされる。それ以来、僧侶の肉食妻帯が公然と始まったようだ。

 ただ、浄土真宗では、開祖親鸞の生き方に倣って、江戸時代以前も「肉食妻帯」だった。親鸞は「肉食妻帯をしている全ての人が本当の幸せになれる」ことを明らかにするため、自ら肉食妻帯をしたという。浄土真宗では、髪を伸ばしている僧侶も多い。

 仏教を世界的にみると、飲酒、肉食をするのは日本の僧侶だけ。そのため、2018年に、日本で世界の仏教者による会議が開かれた際には、酒抜き、肉抜きでレセプションが開かれている。会場には当然「般若湯」(酒をこっそり飲むための隠語)もなかった。(『終活読本ソナエ』2019年夏号から、随時掲載)

 【お寺のトリセツ 5カ条】

 偏見や予断を持たずに、お寺や僧侶と付き合うにはどうしたらいいか。5つのポイントをまとめてみた。

 第1条 お寺の門をくぐることを躊躇(ちゅうちょ)しない

 お寺のお坊さんにどこか近寄りがたい気持ちを持つ人は多いようだ。でも、悩みなどを相談してみたら、案外気さくな人だったということが少なくない。しかも、ほとんどのお坊さんは、悩みを相談されることは嫌いではない。

 お寺では人生を豊かにする講座やイベントを地域に向けて開いていることも多い。遠慮することなく、訪ねてみよう。

 第2条 僧侶を持ち上げすぎない

 仏教では「仏・法・僧」(三宝)を敬うべきものとしている。しかし、お坊さんをあまり持ち上げすぎると、かえってコミュニケーションがうまくいかなくなり、不満ばかりたまる。聞きたいことがあったら遠慮せず聞き、言いたいことがあったら言うべきだ。そうした関係をつくった方が、長く、いい付き合いができるだろう。

 第3条 葬儀や法事は「理解しよう」としない。 「感じる」ことが大切

 葬儀、法事といった儀式が、「難しくて訳が分からない」と思っている人は多いはずだ。しかし、難しく考えず、お経を音楽のように聴き、お香の薫りを味わい、その場の雰囲気を感じてみるといいだろう。ご本尊、先祖に思いをはせるだけでいい。最初は、「理解する」より「感じる」ことが大切だ。

 第4条 「寺友」をつくる

 お寺を介した友達、「寺友」をつくってみよう。きっかけは、文化講座や檀家の集まりなど、何でも構わない。現代人にとって、お寺との付き合いは分からないことだらけだ。お寺に聞けばいいが、お布施の金額など、答えてくれないことも少なくない。そんなとき、他の檀家(会員)などに相談できる人がいると安心だ。お寺の世話役的な人に知り合いがいると心強い。

 第5条 家族を巻き込む

 あなたの家がどこかのお寺の檀家であるならば、家族の会話のなかで、お寺の話題を出しておくことが大切だ。お寺に行く用事があるときには、たまには家族で一緒に行くといいだろう。あなたが死んだら、喪主を務めるなど、お寺と付き合っていくのは遺された家族だからだ。普段から馴染んでおくことが、いざというときのトラブルを回避できるだろう。