高論卓説

リブラ進展・デジタル人民元はテストへ 新型コロナの裏で始まった通貨戦争

 米フェイスブックは昨年6月に全く新しいデジタル通貨リブラの構想を発表した。主要5カ国の通貨バスケットからなる資産をベースに、どの政府からも規制を受けない全く新しい通貨を目指したが、各国政府や中央銀行からの反発は予想よりも厳しいものだった。現実的に計画は頓挫していたといってよいだろう。(板谷敏彦)

 4月16日、運営団体であるリブラ協会はそのデジタル通貨計画の改訂版「リブラ2.0」の白書を発表した。

 大きな変更点は、当初の単一の新通貨を立ち上げるという壮大な話から、ドルやユーロ、円など既存の個別の通貨を裏付け資産とする単一通貨デジタルコインをそれぞれ発行する計画に変更されたことである。

 一方でデジタルコインが発行されない通貨を使用する国々に対しては「デジタル合成」されたリブラコインも発行するとしているが、これは目玉ではない。

 既存の通貨をベースとする以上、以前の計画で各国中央銀行が懸念していた既存通貨の安定性や、通貨発行益の行方などの懸念は取り除かれたことになる。

 またリブラは誰もが運営に参加できる非中央集権方式による各国規制当局の圏外での運営を目指していたが断念することになった。

 これによって改正されたリブラ2.0には、検閲されにくい特徴を示す「耐検閲性」がなくなり魅力が半減し、ありきたりな「ペイパル」のような既存の決済システムに成り下がったという意見もみられる。しかし全世界で27億人のユーザーを抱えるプラットフォーマーが決済システムの手段を持つことは決して軽視できないと筆者は考える。

 むしろ当初のどの国からも規制を受けない民間の通貨という発想が理想型ではあったが大風呂敷過ぎたのだろう。

 さて、この発表の翌17日のことだ。偶然かどうか中国人民銀行(中央銀行)は深セン、蘇州、雄安、成都においてデジタル通貨・電子決済、「デジタル人民元」のテストを実施すると発表した。

 中国は2014年に中央銀行デジタル通貨(CBDC)の可能性を研究するためのタスクフォースを発足させて、17年には中国人民銀行が中国4大銀行およびその他有力金融機関にシステム設計への協力を求めていたほど、もともとCBDCに積極的だった。

 ところが昨年のリブラ構想発表以来、リブラによる通貨覇権の可能性に一番鋭く反応したのが中国だった。なにしろリブラの通貨バスケットには人民元が入っていなかったのだ。そのためにCBDCの開発は加速されたと考えられている。

 米国はCBDCのドルに関心が薄く、リブラを政官民そろってたたいたようなところがあった。しかし昨年11月にハーバード大で行われた「北朝鮮がデジタル人民元を介して某国から核燃料を購入してミサイルを発射」というようなシミュレーション会議を通じて現在のドル決済システム「SWIFT」の脆弱(ぜいじゃく)性を認識すると、デジタル通貨問題が引き起こす国家安全保障上の問題点にも注意が向けられるようになった。

 リブラが提供する27億人をカバーするプラットフォームは、米国が発行するかもしれないデジタル・ドルに対しても有用なツールとなるであろう。新型コロナの影響を受ける貿易構造の変化や国際関係、その出口はまだまだ見えないが、裏では通貨をめぐる静かな戦いが始まっている。

【プロフィル】板谷敏彦

 いたや・としひこ 作家。関西学院大経卒。内外大手証券会社を経て日本版ヘッジファンドを創設。兵庫県出身。著書は『日露戦争、資金調達の戦い』(新潮社)『日本人のための第一次世界大戦史』(毎日新聞出版)など。