【九州の礎を築いた群像 西鉄編(5)】寄せ集め所帯まとめた「明朗親和」 幻に終わった新路線計画

2013.12.9 22:38

 「各社とも大きな立場から協力した結果、極めて順調に話が進みました。合併して大会社にするのは、九州の産業に必要とされる鉄軌道の新設などを進め、一日も早く戦時対応の地方交通態勢を確立し、最大の機能を発揮するためであります」

 昭和17年5月9日。九州電気軌道第4代社長、村上巧児(1879~1963)は東京・帝国ホテルで記者会見を開き、福岡県内の私鉄5社が合併して「西日本鉄道」(西鉄)を発足させることを高らかに宣言した。

 この直前、村上を含めた5社の代表者は、鉄道省監督局長の佐藤栄作(1901~1975、第61~63代首相)の立ち会いの下で統合契約書に調印していた。戦争拡大に伴い、統制経済を推し進めていた政府にとって、5社合併はその意向に沿った動きだといえる。

 とはいえ、「電力の鬼」と言われ、都市間高速電車の延伸に情熱を注いだ松永安左ヱ門(1875~1971)や村上らが合併を進めたのは、あくまで「私鉄統合による交通ネットワーク拡充」を実現するためだ。それだけに村上の記者会見での言葉には「政府に従ってやったわけではない」との思いがにじんだ。

 統制経済に抵抗した松永は調印式を前に隠居し、九州鉄道など2社の株式を九州電気軌道に譲ったため、村上が5社中3社の経営権を掌握。残る2社は第一徴兵保険(後の東邦生命)など幅広く事業を展開する太田清蔵(1863~1946)が経営権を握っていた。

 太田も、村上と同様に私鉄統合論者だったことから、合併協議は比較的スムーズに進んだ。新会社の株主への配当金確保のため、九州電気軌道が自ら560万円を減資し、誠意を示したことも協議を前進させた。

 私鉄合併の話は首都圏や関西圏でも浮上していたが、各社の利害が対立し、膠着状態に陥っていた。それだけに九州で大型合併が先行したことは、政府にとって朗報だった。佐藤は新聞紙上に「合併交渉が行き詰まっている他の地方に好影響を与える」との談話を出した。

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 調印式から4カ月後の17年9月22日、九州電気軌道が母体となり、他4社を吸収した上で社名変更する形で西日本鉄道が誕生した。西鉄の事実上の初代社長である村上が第4代を名乗るのはこのためである。

 九州電気軌道は明治41年12月、明治の元勲である松方正義の3男で川崎造船所(現川崎重工業)の社長を務めた松方幸次郎(1866~1950)らが設立した。松方は初代社長として、東洋随一の重工業地帯だった現北九州市を中心に路面電車や電力事業を次々に拡大していった。

 だが、「炭鉱王」と言われた麻生太吉(1857~1933、麻生太郎副総理の曾祖父)が社長を務める九州水力電気との壮絶な顧客獲得合戦で疲弊し、九州電気軌道の経営陣は九州水力への株式売却を決めた。昭和5年10月、九州電気軌道を傘下に収めた麻生は、芝浦製作所(後の東芝)元専務で九州水力取締役の大田黒重五郎(1866~1944)を第3代社長に据え、腹心の村上を統括役として専務に送り込んだ。

 ところが、村上が専務就任直後、大事件が起きた。松方の娘婿で九州電気軌道第2代社長の松本枩(まつ)蔵(ぞう)が、4千万円もの不正手形を乱発していたことが発覚したのだ。現在の価値なら400億円。不渡りになれば、九州電気軌道が倒産するどころか、連鎖倒産は全国に広がる。

 「これが公になれば日本経済は大パニックに陥る。公表前に事件を処理せよ」

 麻生からこう厳命された村上は、同じ大分県出身の蔵相、井上準之助(1869~1932)に泣きついた。事態の深刻さを理解した井上は、日本興業銀行からの秘密融資を斡旋し、何とか事件公表前に手形回収を成功させた。村上らは周囲に勘ぐられぬよう「関門海峡に橋をかけるため新会社を設立する」などと嘘を盛んに喧伝したという。

 電力マンだった村上は、鉄道事業の経験は皆無だったが、この時の手腕を高く評価され、昭和10年7月に九州電気軌道第4代社長に就任した。

 昭和17年9月、合併により西鉄第4代社長を名乗った村上は翌18年に早速、工業都市・八幡市黒崎(現北九州市八幡西区)から筑豊炭田(現飯塚市、直方市)を経由し、商都・福岡市に至る「筑豊電鉄」(総延長57キロ)の敷設免許を鉄道省に申請した。

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 「交通整備は吾(われ)等(ら)の任務(つとめ) 科学を尊び道義を重んじ 寸時(しばし)もたゆまず努力をつづけ 明朗親和の社是に励まん」

 この社歌は西鉄発足後、社内で盛んに斉唱され、レコードにもなった。作詞したのは村上だった。結びの「明朗親和」は村上の座右の銘であり、社是にも掲げた。「社員1人1人は快活に仕事に取り組みつつも、会社という集団において互いを理解し、協力するように」-。そんな思いを込めた四字熟語である。

 裏を返せば、ライバル同士の5社合併で誕生した会社の社員を融和させるのが、いかに難しかったかを物語っている。

 合併直後の株主総会は「九州電気軌道出身の役員が多すぎるじゃないか!」と株主らが壇上に椅子を投げつけるほど大荒れに荒れた。社内では5社それぞれの出身者が派閥を作り、ポスト争いに明け暮れた。

 そんな中、戦局は悪化の一途をたどった。九州北部は米軍機による空襲の被害に遭い、西鉄大牟田線の電車が機銃掃射され、死者60人以上、負傷者100人以上を出す惨事も起きた。

 「こんな非常時に社員がバラバラでは苦境を乗り切れない」-。こう考えた村上はひたすら「親和」を説いた。旧5社の社屋をアジト化していた重役クラスを、福岡市西新町(現早良区)の新社屋に集め、毎日顔を合わせざるを得ないように仕向けた。

 村上は女子社員をポケットマネーで観劇に招待し、年末には係長以上を集め、大宴会を催した。西鉄社員の“宴会好き”の気質はこの辺りに始まっているのかも知れない。

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 村上が明朗親和に腐心した成果は、昭和20年8月15日の終戦後、如実にあらわれた。

 全国各地の私鉄は、政府主導で統合させられた反動で分裂が相次いだ。

 五島慶太(1882~1959)率いる最大手の東京急行電鉄(東急)は東急、小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王電鉄に分かれた。京阪神急行電鉄は阪急電鉄と京阪電気鉄道に分かれ、近畿日本鉄道からも南海電気鉄道が分離した。

 ところが、西鉄は分裂の「ぶ」の字もでなかった。小倉、八幡、福岡など九州北部の都市圏は軒並み空襲に遭い、焼け野原。村上は復旧・復興と交通網拡充を大目標に掲げ、社員は一丸となって邁進した。

 分裂しなかったことにより、西鉄は資金的余裕もあった。資材難の中で着実に復旧・復興を遂げた。

 終戦翌年の21年には早くも路面電車の新型車両への入れ替えが始まった。多くの車両が空襲で焼かれたバス部門に車両復興課を設置し、修理に力を入れた。同時に「西日本車体工業」を設立して全国で唯一自力でのバス製造に乗り出した。

 21年には米パンアメリカン航空と代理店契約を結び、航空運送事業にも参入した。

 昭和30年代半ばから、筑豊などの石炭産業が衰退し、北九州工業地帯も地盤沈下していくことを考えると、もし西鉄が分裂していたら各社共倒れになり、九州から私鉄が消えていた可能性もある。

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 「私は敗戦の責任を痛感しています。だが、占領軍の進駐によって教えられることも多大だった。それは世界の現状に即応するにはすべての旧物を排除し、新進気鋭の青年層を活動の第一線に立たせることです。私はこれが戦後日本を救うべき天意だと解しています」

 昭和20年11月、村上は株主総会で退任を表明した。些かの悔いもない晴れやかな幕引きだった。

 新役員の平均年齢は46歳。第5代社長に指名されたのは鉄道省出身で49歳の野中春三(1896~1960、第7代社長にも就任)だった。

 野中は、村上が執念を燃やしながら戦況の悪化により頓挫した筑豊電鉄に着手した。

 21年3月、社内報に「前途洋々…西鉄新路線計画」と題した記事が掲載された。そのスケールは、村上が計画した八幡-筑豊-福岡(総延長57キロ)よりはるかに大きく、宇佐(大分)-八幡-筑豊-福岡-熊本の総延長191キロを高速鉄道で結ぶ構想だった。

 野中は社内報で「我らは新路線の実現に向かって邁進すべき義務を負うことを、痛切に感じるものである」と訴えた。

 もし完成していれば、北部九州の繁栄図は塗り替えられていたに違いない。だが、昭和34年9月までに八幡-直方間が開通したのを最後に計画は頓挫してしまった。石炭から石油へのエネルギー革命により筑豊地方が急速に衰退し、鉄道需要が見込めなくなったからだった。

 村上の西鉄社長の在任期間はわずか3年2カ月に過ぎない。だが、西鉄の自由闊達でアットホームな社風の礎を築いたのは、村上だと断じてよいだろう。野中はその後、村上の女婿である第6代社長の木村重吉(1901~1963)と権力闘争を繰り広げることにもなるが、その最中も「村上学校」の門下生は鉄の結束を崩すことなく西鉄の看板を守り、社業を拡大させていく。(敬称略)

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