■「火消し」と「大工」の会社人生
企業の経営環境が一段と厳しさを増すのに伴い、欧米型の成果主義を取り入れることで社員間の競争を促す動きが活発化している。こうした中、「日本で通用しにくい手法なのでは」と指摘するのが、第一生命保険の森田富治郎・特別顧問。社員の潜在能力の引き出しに重点を置いた経営思想と、少子化対策に力を入れた財界活動が自身の哲学のバックボーンとなっている。
◆苦戦の関西地区再建
≪元第一生命保険社長の櫻井孝頴(たかひで)氏が今年1月3日、81歳で死去した。櫻井さんは社長在任中に日本放送協会の経営委員や生命保険協会の会長を務めるなど、金融や経済界の要職を歴任したが、森田さんは会社人生の節目節目で櫻井さんの下で仕事をすることが多かったという≫
「入社2年目で内勤組合の執行委員となったが、そのときの委員長が櫻井さん。私も33歳のときに委員長に就任した。櫻井さんからはしばしば歯応えのある問題を与えられ、結果として1997年には後を継ぐ形で社長に就任した。就任会見で『これまでどういった会社人生を送ってきたか』と問われたので『いつも火消しと大工を務めてきた』と答えた。目の前で燃えさかる問題を片付け、大工として新しい物を建てる-。口はばったい言い方だが、その実績が認められると次々に荷物が増え、結果として社長に就任し、さらに荷物が重くなっていったというのが会社人生だ」
≪第一生命は、1974年に営業に関する大改革を断行する。72年から準備を進めたが、その中心人物が櫻井さんだった≫
「全国から若手を糾合し、私も浜松支社から本社に呼び戻された。制度を組み立てる2年間は徹夜の連続も珍しくなく、労働時間はすさまじかった」
≪最初の重要な火消しは、苦戦を強いられていた関西地区の立て直し。79年に大阪営業課長に就き、10支社を取りまとめた≫