当時は、大きなショーは毎年開催、イギリス、ヨーロッパは、民族系メーカーが元気な時代でした。ロンドンは、市内のアールス・コートが会場で、英欧米メーカーはもとより、ソ連LADAも参加しました。
この時期、コンパニオンというより、モデルの露出度がエスカレートしていました。
ロンドンでは、生きているフラミンゴ(紅鶴)の池からヴィーナスのように立ち上がったり、アランビアンナイト風衣装ベリーダンス(大刀を持ったコワモテが付き添っているので、近づくのはそこまで)などなど。
ビキニからはじまり、ボデイペイント、トップレスと年々激しくなっていました。もっとも、人間性(?)解放期でもあり、南フランスではヌーディスト・ビーチに迷い込み、あたふたしたものです。