【トップの素顔】今野由梨 ダイヤル・サービス社長(5) (1/2ページ)

2015.12.8 05:00

焦土と化した三重県桑名市内=出典、『消えない夏の日桑名空襲体験記』(くわな戦争を語り継ぐ会、1985)

焦土と化した三重県桑名市内=出典、『消えない夏の日桑名空襲体験記』(くわな戦争を語り継ぐ会、1985)【拡大】

 ■戦争の恐怖 別人のような性格に

 1945年7月17日午前1時すぎ、母、美鶴の絶叫で飛び起きると、すでに窓の外の通りは炎で真っ赤、一面、火の海でした。B29爆撃機が焼夷弾(しょういだん)十数万発を三重県桑名市内に投下、深夜の空襲でした。9歳の時のことです。

 ◆近くに焼夷弾落下

 枕元に畳んであった衣類を着ながら、脱兎(だっと)のごとく外に走り出ると、そこはもう阿鼻叫喚の世界でした。町中の人が山の方角を目指して走っていました。母は赤ん坊の妹を背負い、2人の妹を乳母車にのせて押し、姉が祖母の手を引いて、私はそのあとを必死で追いかけていました。父や町内の男たちは町に残って懸命に消火活動をしていました。子供心に、これだけの猛火に父たちの消火活動はなんの意味もないと思いましたが、私たちは父をおいて山に向かいました。

 ところが人の波にもみくちゃにされ逃げ惑ううちに、母たちを見失ってしまいました。焼夷弾がキンキンキンキンと金属音をたててはじけ飛び、閃光(せんこう)が走り、それは言葉などでは説明できない恐怖のなかのことでした。戦争で死ぬなんて絶対に嫌だと思い、気が付くと神に呼びかけていました。「私を生かしてください。この夜を生き延びることができたら、どんなことをしても、必ずアメリカに行き、この業火に見舞われたこの夜の、私の体験をアメリカ人に話して、戦争は絶対にしてはいけないと伝えますから!」と。

 一人取り残され、父のところに戻ろうか、母を追いかけようか迷っていたときに、ドーンと焼夷弾が近くに落ちたのでしょうか、その後のことは一切、記憶がないのです。死んだのです。

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