■高い志を語り合った“ブランコの夜”
1960年代後半、ドイツ滞在は3年に及びました。ドイツが東西に分裂していたころで、西ベルリンは陸の孤島のようなところでした。どこに行くにも銃で警備された検問所チェックポイント・チャーリーを通らなくてはならず、不便このうえない場所でしたが、ウエートレスでためたお金で、イギリス、フランス、イタリア、スペインなどを駆け巡りました。
◆諦めきれず企業訪問
ドイツのハノーバーでメッセ(国際見本市)が開かれていて、日本のメーカーが出店しており、視察団や日本の医師団のような方々のガイドや通訳もさせていただきました。拙い通訳だったかもしれませんが、起業するという私の夢を話したりすると、熱いエールも送ってくださり、異国での1人暮らしの私にとって大きな生きる力になりました。
アルバイトで生計を立てるとともに、電話を使ったビジネスの研究もしていました。モーニングコール・サービスや鍵のトラブルに駆けつけるSOSサービスや、さまざまな情報を調べて提供するコンシェルジュ・サービスなどです。行動ありきがモットーですから、こうしたサービス会社を次々と飛び込みで訪問しました。