
プラント設計会社のフィリピン人女性エンジニア。就労ビザ取得と日本での生活全般を、企業総務とともにサポートしている【拡大】
不慣れな日本での生活を支援することで、濃密な信頼関係が築かれる。契約期間が終わって帰国したあともフェイスブックで交流が続く人がいるほか、「現地に出張したとき同行して手伝ってくれる人や、日本で働きたい知人を紹介してくれることもある」と次の仕事にも結び付いている。
これまで40カ国・地域の人と関わってきたが、フィリピンを「アジアでこれから最も期待できる」と高く評価している。英語が公用語であることと、ここ数年5~7%の経済成長を遂げているほかに、「アジアでありながらラテン的な陽気な人が多い。職場でも円滑な人間関係をつくるのに役立っている」という。
◆介護人材事業進出へ
得意だった英語を使った仕事をしようと、英語専門学校を卒業後、東武鉄道の特急電車の車掌通訳になった。その後、貿易会社勤務を経て結婚・出産で1年半を専業主婦として過ごす。のちに転職を重ねて貿易事務、秘書、外国人採用、外国人生活支援などのキャリアを積む。「積み重ねた経験を次世代に還元しよう」と、定年後の2013年1月に62歳で起業した。
今後は高度人材だけでなく、深刻な人材不足に悩まされている介護人材事業にも乗り出す。「明るくて世話好きなフィリピン人は介護人材に適任」と期待を込める。すでにリサーチを始めていて11月には現地を視察する。さらに技能実習生事業にも着手する。「フィリピンの若者に日本で技能を習得してもらい、帰国して祖国のために貢献してもらいたい」。日本とフィリピンの架け橋として、両国の発展に尽くす。