高論卓説

復興五輪のカギは釜石にあり フィールドの外にある感動を伝える

 ラグビーワールドカップ(W杯)2019日本大会は、列島を熱気に包んだ。日本チームは史上初めて決勝リーグに進出、準々決勝で南アフリカに敗れたとはいえ健闘した。東京2020五輪・パラリンピックの成功につながる、という期待を膨らませた。

 東京五輪・パラリンピックのコンセプトの「つなげよう、スポーツの力で未来に」は、東日本大震災の被災地の魅力を世界に発信して、スポーツが人々に与える勇気や力をレガシーとして被災地に残すことを目指している。「復興五輪」を掲げる由縁である。

 ラグビーW杯大会で震災地唯一の会場となった、釜石・鵜住居(うのすまい)復興スタジアムで9月25日に開催された、フィジー対ウルグアイ戦に向かった。試合当日は大快晴となって、秋の日差しが肌に痛いほどだった。試合開始前に、自衛隊・松島基地所属のブルーインパルスの編隊が、青空に白い線を描く。東日本大震災は松島基地も津波が押し寄せた。

 鵜住居復興スタジアムは、旧鵜住居小学校と旧釜石東中学校の跡地に建設された。釜石市内の小学生約3000人のほとんどが高台に逃げて、津波を逃れた「釜石の奇跡」の場所の一つである。

 会場近くにある、地元の人が建立した「あなたも逃げて」の石碑の前で地元の女子高校生が震災時に小中学生が逃げて「いのちの道」の図を示しながら説明する。大会旗の入場に先行して、小学生が大きな布をたたんで行進してきた。広げると津波の被害にあった後、世界中からの支援に感謝する大きな文字の文章が現れる。

 スタンドの西側スタンドを埋め尽くしていた、釜石市内の全小中学校14校の約2200人がキックオフの直前、立ち上がって「ありがとうの手紙 #Thank You From KAMAISHI」の合唱が始まる。この曲は市内の全小中学校生から「大切な人への手紙」をテーマにして募集して、歌詞としてまとめた。

 「僕たちがまだ小さかった頃 この町に悲しみがやってきました 灯りも笑顔も失ったとき トラックに乗って 世界中の思いが届いたんだ…ありがとう ありがとう ありがとう 何度言っても足りないよ」。「ありがとう」のリフレインが会場に響き渡って、胸にせまり目頭が熱くなる。

 フィールドの外に世界を感動させるエピソードが溢れている。テレビの実況中継がNHK東北管内にとどまったのは惜しい。「復興五輪」の成功のカギは釜石にある。台風19号は、大震災の被災地も襲って甚大な被害をもたらした。ラグビーW杯の開催に間に合わせようと、三陸鉄道は今春全線復旧したのもつかの間で、土砂流出などによって一部が分断された。鵜住居スタジアムで10月13日に予定されていた、もう一試合のナミビア対カナダ戦は中止になった。

 1964年東京五輪開催以来、72年札幌冬季五輪、FIFAワールドカップ2002年日韓共同開催大会、ラグビーW杯から東京五輪。20世紀から21世紀にかけて、これほどの数の国際大会を開催した国はない。その裏面史は災害と復興の歴史である。

                  

【プロフィル】田部康喜

 たべ・こうき 東日本国際大学客員教授。東北大法卒。朝日新聞経済記者を20年近く務め、論説委員、ソフトバンク広報室長などを経て現職。福島県出身。

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