年号が令和に改元されて初めての新年を迎えた。昭和の後半の30年間は、日本の経済と企業は戦後復興から高度成長を走り抜け、国内的にはバブル経済のピーク、国際的にはジャパン・アズ・ナンバーワンへと駆け上がった「躍進の30年」といえるだろう。(経営共創基盤CEO・冨山和彦)
続く平成の約30年間は、バブル崩壊と日本経済の長期不振、そして売り上げの成長、収益力、時価総額のあらゆる面で日本企業の存在感が失われた「停滞の30年」と位置付けられる。令和から始まる次の30年を再び「躍進の時代」とするためには、日本企業の会社のかたち、職業人生のかたちを大きく改造、変容(トランスフォーム)する覚悟と、それを実現するための長く持続的な取り組みの始動が必要となる。
“勉強”の域出ず
平成の30年間の長期にわたる苦戦について、昨年出版した中西宏明経団連会長と私の共著「社長の条件」では、本質的な敗因は「デジタルトランスフォーメーション(DX)」とグローバリゼーションによる破壊的イノベーション、不連続で急速な産業構造の変化に対し、同質的で連続的な組織で「オペレーショナル・エクセレンス」に過剰適応した日本企業の多くが対応できなかったことにあると結論付けた。
現在、多くの日本の大企業ではDXに立ち向かう色々な取り組みが始まっている。しかし、DXを取り込むためにオープンイノベーションを進めようとコーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)を作ったり、社員をシリコンバレーやイスラエルに視察に行かせたり、オープンイノベーションラボを作ったりという取り組みの多くは残念ながら「お勉強」の域を出ていない。
小手先の実験や表層的な戦略論だけで会社の本質的部分に手を付けない限り、不幸な歴史は繰り返すだろう。
経営学者チャンドラーの名著「組織は戦略に従う」があるが、私が当事者として企業の生死に関わってきたこの30年間を総括すると、残念ながら組織が戦略に従うことはほとんどなかった。産業構造が大きく変わり、ビジネスモデル、競争ルールが根っこから変化する時代において、そこでは野球からサッカーに変わってしまうくらいの変化が起きてしまうので、戦略案においてサッカーをやろうという話になっても組織能力がついていけないからだ。
これだけのスピーディーかつ大きな変化に対し、手持ちの組織能力の変異力では対応できない。グローバルスケールの多様性を持ち、産業構造自体を構想できるような強い個を生かす、流動性が高いダイナミックな組織運営が必要となる。当然、文化的な意味での大きな変革も必要だ。リーダーについても、従来のようなボトムアップ型、コンセンサス型の調整能力よりも、不確実かつ厳しい状況で迅速果断な決断を行う知力と胆力が求められる。