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24万の人手投入 避難道路にツツジの復活…常磐線14日に震災以来の全通 (1/2ページ)

 東日本大震災後のJR常磐線で最後の不通区間となっていた福島県の富岡-浪江間(20・8キロ)が14日、9年ぶりに開通する。この区間では、東京電力福島第1原発事故の影響による高い放射線量が最大の問題だったが、JR東日本水戸支社が4年をかけて除染作業を進め、ようやく全線が結ばれることになった。

 過酷だった真夏の除染作業

 富岡-浪江間の復旧工事が始まったのは、震災から5年後の平成28年3月。投入された人員は延べ24万人近くに及んだ。鉄道会社にとっては未知の経験だった除染作業は機械でなく、ほぼ人手に頼らなければならなかったためだ。

 震災前からの施設設備で除染して使えたのはレールのみ。線路内に敷くコンクリートの枕木や砕石の除染は困難でほとんどが交換となり、路盤の土や線路わきののり面(斜面)も、線量が高ければ削り取るなどしなければならなかった。

 真夏に防護服を着込んでの除染作業は過酷を極め、「日の出前からやらせてほしい」といった現場からの切実な声によって、作業開始は早められた。

 元の上り線舗装、備える

 開通後の放射線対策も練られた。震災前は複線だった大野-双葉間(5・8キロ)は元の上り線部分をアスファルト舗装し、避難用道路とした。この区間の周囲は線量の高い帰還困難区域に当たり、列車が停電などで立ち往生した場合、乗客をバスで区域外へ運ぶためだ。道路は線路の保守点検にも使われる。

 駅舎も様変わりした。震災前、東の海側に出入り口があった双葉は新たな町の中心地が駅西側に計画されているのに合わせて橋上化。東西を行き来できるようにした。大正時代に建てられ、地元に親しまれた夜(よ)ノ森の木造駅舎も老朽化と除染のため解体され、橋上駅へと生まれ変わった。

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