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ジョブズがアップルに復帰したとき、真っ先に切り捨てたもの (1/3ページ)

 アップルは1990年代半ば、倒産寸前に陥った。再建のため呼び戻された創業者のスティーブ・ジョブズはそのとき何をしたか。アップルジャパンでマーケティングコミュニケーションを担った河南順一氏は、「コア事業だけを残し、ほかの事業から撤退する決断をした。レガシーを捨てて変革を求めたことが、復活につながった」と分析する――。※本稿は河南順一『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

 ディスラプションの第一歩はレガシーを捨てること

 今ほどディスラプション/破壊的イノベーションが注目される時代はありません。AI、IoT、AR、量子コンピュータといった新たなテクノロジーが台頭する歴史的な転換期にいるのです。変革をしない選択は、すなわち衰退を意味します。一方で苦難を避けられないことは、ディスラプションにまつわる冷徹な真理です。

 ディスラプションの第一歩はレガシーを捨てることです。レガシーとは、先人が築いた物理的、精神的遺産のことであり、企業活動においては「業界の慣習」「組織の慣習」「ビジネスモデル」など、あらゆるものが該当します。時代後れになった資産。それがレガシーです。

 1997年、倒産寸前だったアップルに創業者のスティーブ・ジョブズが復帰したとき、矢継ぎ早に行ったのはまさにレガシーを捨てることでした。スティーブはまず、コンピュータとOSというコア事業だけを残し、それ以外の事業部と製品群を片っ端から切り捨てました。かつてアップルはプリンタ、サーバ、モニタ、デジタルカメラ、アプリケーションソフトウェア、各種アクセサリなど、コンピュータ関連の製品を幅広く扱うメーカーでしたが、それらをバッサリ捨てたのです。

 コンシューマ市場から一時撤退を決断

 主力のコンピュータ事業も大掛かりな整理が行われました。当時はパーソナルコンピュータの製品ラインだけでも11のプラットフォームがあり、スペックが同じマシンなのに異なる販売チャネルで製品名を変えて販売しているものもありました。それをスティーブはデスクトップとポータブル、プロ向けとコンシューマ向けの4プラットフォームに収斂させ、さらに、不良在庫が大量に発生して立ち行かなくなっていたコンシューマ市場から一時的に撤退することを決断。プロ向けのMacの開発と販売にリソースを集中させたのです。

 大半の事業を切り捨てたことは1998年に発売されたiMacの成功に結びつき、その後の長期的成長や冷え切ったパソコン市場の再生につながることになりました。変革には、傷を負う覚悟が必要です。もし、痛みを伴わずに変化を遂げているのであれば、妥協や保身が隠れていることを疑う必要があります。失うものがないようにと考える前に、「最高のもの」を目指して前進しなければなりません。

 マーケティングはジョブズ直轄管理に変更

 スティーブ復帰後には大幅な組織改革も行われました。特に大きな変化があったのがマーケティングチームの体制です。事業部単位、もしくは国単位のマーケティングチームにかなりの裁量権が与えられていた従来の体制をやめ、本社にワールドワイド・マーケティング・コミュニケーション(WWマーコム)という、「ブランド」「広告」「広報」「イベント」「コラテラル(制作物)」「ウェブ」の6チームからなるグループが新設されたのです。社内のあらゆるマーケティングコミュニケーション活動は、スティーブ直轄チームが一元管理することになりました。

 マーケティング活動をWWマーコムチームとして1つに束ねるのは、広告代理店を絞り込むことを意味しています。それまで各国のマーケティング部隊はローカルの広告代理店を起用して独自の広告を作っていましたから、国や製品によって広告のテイストはバラバラ。これではまともなブランド構築ができるわけがありません。

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