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「プランナー」だったJR東元社長の松田昌士氏 民営化に注力

 JR東日本の松田昌士元社長は国鉄時代、若手の改革派だった井手正敬氏(85)、葛西敬之氏(79)とともに国鉄の再建や分割・民営化を推進。累積債務が膨らみ、労使関係の問題も深刻化していた中、反対派の抵抗に遭いながらも一貫して再建計画を立案する計画畑を歩み、自らを「プランナー」と称した。JR東日本発足後は、整備新幹線など列車の高速化による乗客の利便性向上や非鉄道事業にも注力。現在の同社の礎を築いた。

 札幌駅長を務めた父親に続く形で国鉄に入社。主に経理や経営計画畑で累積赤字が膨らみ続ける国鉄の再建計画作りを担当した。1982年に第2次臨時行政調査会が分割・民営化の方針を打ち出したことを受けて、国鉄経営計画室の計画主幹として、民営化の計画作りを本格的に担った。この際、同士となったのが入社年次が2年上の井手氏、2年下の葛西氏だ。3人は国鉄再生には抜本改革が不可欠との問題意識を共有。分割・民営化を推進する中曽根康弘内閣と足並みをそろえ、改革を内側から主導した。

 JR東の発足後は、常務、副社長を経て、第2代の社長に就任。首都圏の快適な通勤を実現するための増便や、山形新幹線や秋田新幹線による高速鉄道ネットワーク構築を推進した。91年には「鉄道高速化は21世紀に向けて重要性を増す。新幹線を幹とすればこれに接続するミニ新幹線、新幹線在来線直通方式、在来特急などは枝。幹を太くしながら枝を広げていく」と述べるなど、先を見据えた経営を進めた。

 一方、非鉄道事業では、会長時代の2001年に交通系ICカードの「Suica(スイカ)」を改札に導入した。現在、スイカはさまざまな場面での決済や移動経路などをたどることができるビッグデータとして活用することが期待されている。JR東は18年に発表した10年間の経営構想「変革2027」の中で、人口減少時代を見据え、輸送サービスから生活サービス中心に事業を推進する方針を打ち出した。スイカはそのための重要な役割を担う。

 顧問に退いてからも、郷里のJR北海道の再建計画について聞かれると、「旭川-稚内間はできるだけ直線にする。畑ばかりの地域であり、線路に隣接する畑と交換すれば直線化は可能だ。沿線は観光資源も多い。観光列車としても大いに活用できる。そのために運賃を上げる方法もあるかもしれない。しかし、やるべきことをやらないで上げてしまうと、国鉄時代と同じで『貧すれば鈍する』になる」と熱く語るなど、鉄道マンとしての情熱を持ち続けた。(大坪玲央)

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