京都先端科学大・旭川大客員教授 増山壽一
新型コロナウイルスによる世界経済への影響は、リーマン・ショックをはるかに超えて、1929年の「世界大恐慌」に匹敵する規模となるであろうと盛んに喧伝(けんでん)されている。コロナショックを克服する上で、世界恐慌のどん底から回復させた、当時の米国大統領であったフランクリン・ルーズベルトが何を決断し行動したかを改めて振り返ることが、これからの国や会社のリーダーにとって有益ではないかと考える。
それは、突然始まった。29年9月から米国の株式は暴落を繰り返し始めた。10月29日の通称ブラックチューズデーを契機に世界的に広がり、その影響は30年代半ばまで続いた。29~32年の間、世界経済は推定15%縮小。世界経済と直結していた重工業がまず大きな影響を受けた。その後、農産物価格の大暴落で農産地域を疲弊させ、鉱業や林業などの一次産業地域へ急速に波及。国際貿易は半分にまで縮小し、米国失業率は23%となった。
当時、米国で悲しくもはやった「フーバー(大統領)毛布」とは、家を失い路上で寒さをしのぐために体に巻いた新聞紙のことだ。そんな最悪の中に登場したのがルーズベルト大統領である。日本では、太平洋戦争時における相手国の大統領として有名だが、米国人にとっては、大不況をリーダーシップで脱出した恩人であり、歴代で唯一4選をした大統領だ。彼の大不況脱出政策は、政府による巨大な公共事業を興し雇用創出をするなどの大改革「ニューディール政策」が中心で、その先に第二次世界大戦があった。
しかし私が注目したいのは、国民へのメッセージの伝え方である。当時ようやく一般家庭に広がったラジオを使った談話で、決して演説ではない。大統領執務室の暖炉横に腰掛けながら、ゆっくりとした、安心感を与える口調で国民に語り掛ける。
そして第一声は必ず「My friends」から始まる。最初のテーマは「銀行危機」、続いて「新しい政策NEW DEAL」。次第にこの炉辺談話は時節柄戦時色となり、日本からの真珠湾攻撃を受けて、その後「日本への宣戦布告」をテーマとして国民の団結を求めるものとなった。
自らの言葉で、決して飾らず平常心で国民に話す大統領が、いかに国民を勇気づけたかは想像に難くない。ツイッターで一方的に発信する大統領とは、大きな違いだ。中小企業のリーダーも、今こそ自ら声を出して前面に出てほしい。
【プロフィル】増山壽一
ますやま・としかず 東大法卒。1985年通産省(現・経産省)入省。産業政策、エネルギー政策、通商政策、地域政策などのポストを経て、2012年北海道経産局長。14年中小企業基盤整備機構筆頭理事。旭川大学客員教授。京都先端科学大客員教授。日本経済を強くしなやかにする会代表。前環境省特別参与。著書「AI(愛)ある自頭を持つ!」(産経新聞出版)。57歳。