7月16日、史上最年少の17歳11カ月でタイトルを獲得したプロ棋士、藤井聡太棋聖。対局中に着用していたマスクも注目を浴び、製造する福井県坂井市の浴衣帯メーカー「小杉織物」には注文が殺到した。着物の需要減や安価な中国製品の台頭などの逆風を、創意工夫で乗り越えてきた同社。今回は新型コロナウイルスの感染拡大で浴衣帯の需要が激減する中、マスク製作に乗り出していたことが功を奏した。
「神風が吹いた」
「これ、うちのマスクじゃないですか」。会社内でこんな声が上がった。棋聖位を獲得するより前の7月13~14日、王位戦第2局に臨んだ藤井棋聖は、和服にマスク姿だった。光の当たり方で浮かび上がる市松模様。幅がある耳ゴム。他社製にはない特徴的なプリーツの形状…。同社の「夏用涼やか絹マスク」に間違いなかった。
藤井棋聖がつけていたマスクのことはSNSで投稿されるなどし、すぐに同社に「小杉織物製ではないか」と問い合わせが殺到。同社はサイト上で16日、「私どもが製造しているものだと思われます」と公表した。すると、藤井棋聖は16日の棋聖戦第4局に勝利し、棋聖位を獲得。その対局でも同社のマスクを着用しており、マスクの注文がみるみる増加。1日7千枚の生産体制はフル稼働となった。まさに「神風が吹いた」状況だった。
小杉織物社長の小杉秀則さん(63)は「職人として品質、技術にこだわった。藤井棋聖に大一番で使おうと選ばれたことがうれしい」と振り返る。
どんどん受注が減少
この直前、同社は苦境にあった。
浴衣帯は訪日外国人客向けの貸衣装用に需要を伸ばし、売り上げ全体の3割を占めるようになっていたが、新型コロナの影響で訪日客が途絶え、ほぼゼロとなった。その後も感染が拡大するにつれ、国内向けの受注もどんどん減少し、小杉さんは従業員に4月から半数ずつ休むように言い渡すに至った。
ただ、縮こまってばかりではなかった。同社は活路を開こうと、当時まだ珍しかった絹製マスクの開発に挑戦。鼻の形に合わせる形状記憶ワイヤは、幸い自社製品で使っていたため在庫はある。耳ゴムは品切れで仕入れられないが、自社の機械で製造することに。こうして4月、「洗える絹マスク」を商品化。すると数日で1万5千枚もの注文が寄せられ、すぐに従業員を総動員し、長期休業を免れた。
夏用マスクなど商品展開を増やしていったが、7月にはマスク需要が一段落し、注文数はすぼみ始める。1日の生産量を減らし、長期休業を再び検討し始めたところ、藤井棋聖誕生の報が舞い込んだのだ。
貫いた積極姿勢
紆余(うよ)曲折はこれまでも経験していた。
もともと国内で着物を着る機会が減り市場が縮小傾向にある和装業界。昭和50年代には、浴衣帯のデザイン性を生かして米国向けにベルトを製造。和服には邪道とされた化繊のポリエステルもいち早く採用し、安価で扱いやすい特徴で若者向けに注力した。平成になり中国製が勢いを増すと、製造機械を新調して、生産性を大幅に高めることで安さに対抗した。
マスク製造では購入者からは感謝の声も寄せられた。小杉さんは「時代に必要とされるものを作り、気持ちを伝えられてもらえることは、帯を作っていたときにはなかった幸せだ」と話す。
帯の生産はいまだ昨年の1割足らず。夏祭りの中止も相次ぎ、回復の道のりは遠い。だが、苦境からマスク製造という柔軟な対応で商機を呼び込んだ積極姿勢は、今後の生き残りにも奏功するだろう。