宇宙飛行士の野口聡一さん(55)が16日、米スペースX社の新型宇宙船クルードラゴンに搭乗し宇宙へ出発した。米スペースシャトル、ロシアのソユーズに続き計3種類の宇宙船に乗った日本人は初めて。“切り込み隊長”として日本の有人宇宙飛行を背負ってきたベテランの集大成ともいえる旅が始まった。
「宇宙飛行は挑戦の歴史。失敗のリスクはあるが、恐れよりも挑戦から得られる成長や利益の方が上回っている。それが挑戦し続ける鍵だ」
野口さんは出発直前、今回の飛行について意気込みをこう語っていた。
幼少期に夢中になったテレビ人形劇「サンダーバード」をきっかけに宇宙に憧れた。石川島播磨重工業(現IHI)のエンジニアを経て宇宙飛行士に。以降、与えられた任務は「初挑戦」の連続だった。
初飛行は2005年のスペースシャトル「ディスカバリー」。シャトルは03年に「コロンビア」が帰還時に空中分解し、野口さんの訓練仲間を含む7人が犠牲になったばかりだった。
野口さんは遺書をしたためて発射台に向かい、宇宙到着後は事故原因となった機体底部の補修や検証を行うなど、シャトル再開における重要な任務をやり遂げた。
09年には日本人初の船長補佐としてソユーズに搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)へ。シャトル退役が迫る中、宇宙大国の米露の技術をいずれも体得した初の日本人となった。
【動画で見る「打ち上げ直前」】
そして今回は、米国が有人宇宙船の運用再開に挑む“復帰戦”で、世界初の民間宇宙船でもある。米国人以外の搭乗者として唯一、白羽の矢が立った野口さんは「初物に強い野口に任せておけという判断もあったのだろう」と分析する。
だがその高い信頼と実績の背景には、地道な努力があった。
初飛行の際、新人ながら船外活動のリーダーを任され、宇宙で体をどう動かせばいいのか悩んだ。多忙な出発前に武術研究家の甲野善紀(こうの・よしのり)さん(71)の道場をひそかに訪ね、無重力での身のこなし方や力の使い方を教わった。世界中からシャトルの安全管理に厳しい視線が注がれる中、事故対策の要となる難度の高い船外活動を次々とこなし、米航空宇宙局(NASA)を瞠目(どうもく)させた。
当時の思いを自著でこう振り返っている。
「だれが見ても文句をつけられないように仕事をしないといけない。そうでないと、『シャトル復活のドラマのハイライト』である重要な宇宙飛行のメンバーとして、外国人のぼくは交替させられるかもしれない」
指導した甲野さんは「非常に研究心旺盛。華々しい宇宙飛行士のイメージとは異なり、腰が低く謙虚な人物だった」と語る。
日本人飛行士として最年長で臨んだ3度目の挑戦。帰還を含む任務の成否は、民間宇宙飛行の将来を占う分水嶺(ぶんすいれい)となる。
「日本人で誰かが最初にやらないといけない。未登頂の部分に関するリスクはわれわれがつぶしていくしかない。私だけでなく、日本人飛行士の全ての飛行経験を反映したい」
【動画で見る「打ち上げ成功」(カウントダウンは動画開始約36分後)】