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創業地で明治建築を公開 ボンドのコニシが伝える、大阪商人の歴史 (1/2ページ)

 江戸時代から薬問屋が軒を連ね、現在も日本を代表する製薬会社が本社を置く大阪市中央区の道修町(どしょうまち)に、ひときわ目を引く明治建築「旧小西家住宅」(国重要文化財、同区)がある。合成接着剤のボンドで知られるコニシ(同区)の社屋としても使われてきたが、昨年、企業ミュージアム「旧小西家住宅史料館」に生まれ変わった。空襲や震災をくぐり抜けた建物は銘木を集めた丈夫な造り。無駄を省きながらも、必要な投資を惜しまない大阪商人の暮らしぶりを伝えている。(北村博子)

 50人の大所帯

 大阪の中心を南北に貫く堺筋沿いの建物に入ると、思わず外の喧騒を忘れさせてくれる、落ち着いた雰囲気に包まれた。

 建物は、明治3年に薬種商として創業した「小西屋」(現コニシ)の店舗と小西家の住居を兼ねて36年に完成した。敷地面積は約1060平方メートルにも及ぶ。

 改修で、かつて店舗として使用していた建物の前方は展示室となった。企業のあゆみを紹介する大画面映像や大阪市電が走るノスタルジックな風景の動画が壁面に映し出される仕掛けが楽しい。

 「建物内で変わったのは展示室だけで、ほかはほぼ昔のままです」。同社経営企画室の中谷光宏さんのその言葉通り、北側の障子を開けると、二間続きの広々とした座敷が現れた。書院と仏間で、奥には苔むした中庭も見える。「ここに絨毯を敷きソファセットを置いて、社長室にしていたようです」。庭の周りには廊下を巡らせ、蔵へとつなげている。高い吹き抜けのある台所も見学できる。

 非公開となっている2階には、夫人の間や子供部屋のほかに小部屋が多数あり、当時は家族や従業員、女中など50人近くが寝起きしていたと伝わる。「今回、蔵から50個以上も火鉢が出てきて驚きました」といい、大所帯の暮らしぶりが推測できたという。

 150年現役

 建物は、薬種商で成功した小西屋の2代目小西儀助によって建てられた。同社はのちにアルコールや洋酒の販売に乗り出し、化学製品も扱うなど事業を拡大。第二次大戦後はボンドのメーカーとして発展した。

 昭和46年までは小西家の人たちも住んでおり、平成6年までは本社として機能、令和元年に改修に入るまでは関連会社の事務所として使われ続けてきた。

 改修にあたって、耐震補強工事のアドバイスなどを行った建築家で近畿大学建築学部の高岡伸一准教授は、大阪・船場地域において明治期の大店の建物が残っているケースは「大変珍しく貴重」と指摘する。

 「空襲の焼夷弾(しょういだん)が当たったが消防活動によって奇跡的に残ったと聞く。これだけ大規模な戦前の町屋が街中に残っていることが、まずすごい。大きなかまどや、広くはないが静寂を保つ庭もあり、当時の船場商人の生活ぶりを垣間見ることができる」と評価する。

 派手な装飾はないが建築資材には銘木が集められており、「時間とお金をかけて丈夫に建てられているうえ、住まいでもあったので日々のメンテナンスも行き届いている」と感心する。

 大阪の新名所へ

 以前から、一般公開を望む声も多く、昨年創業150年を迎えたコニシは周年記念事業の目玉として、史料館に改修した。費用は1億円以上にのぼるという。

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