流通ビジネス新時代

マッチングワールド(4)マッチングは恩返し 商材増やし流通の雄目指す

 ITプラットフォームを使って、企業の過剰となっている在庫商品を、それを必要とする企業に販売するための橋渡しをするというユニークなビジネスを展開するマッチングワールド。他に類を見ないこのビジネスモデルはどのようにして生まれたのか。また、2年後の株式上場を目指す理由は何か。町田博代表取締役に聞いた。

 マッチングワールド代表取締役・町田博氏に聞く

 現金問屋で商品価値見極める目養う

 --町田さんは脱サラされて事業を始められたそうですね

 「私は鹿児島の高校を卒業して、最初に旧日本電信電話公社の近畿電気通信局(現NTT西日本)に就職しました。父親が安定した職業に就くことを望んでいて、半ば強制的に就職させられたのです。確かに恩給はあるし安定はしていましたが、何しろ給料が安かった。一方で、優秀な人がたくさんいて、高校出の私は、どんなに頑張っても地方局の課長止まりだろうな、だったら、自分のやりたいことをやろうと考えて退職。職業安定所で大手現金問屋の日経を紹介されて、転職しました。26歳の時です」

 --そこで流通業のノウハウを学ばれた

 「商品の価値を見極める目、バーゲン商品の流通、資金繰りのための在庫の売却など、現在のマッチング事業の礎となる知識や経験を学び、最後は営業部長に就任しました。問屋マンとしての自信をつけて、34歳で独立。任天堂が初めてファミコンを発売した年に、テレビゲームの卸問屋を創業しました。流通各社に対し、ゲームのインショップ展開を進め、設立から6年で売上高200億円を突破。当時のゲーム市場約2000億円の10%を占め、日本のゲーム卸問屋の3本の指に入るまでになりました」

 過剰在庫抱え倒産

 --それがなぜ、マッチング業に転じたのですか

 「大きな量販店の顧客から、年末商戦にはこういう商品を置いてほしいと要望されて、インショップにその商品を置いても、実際には注文が来ないということがある。それである年、46億円の在庫が残りました。手持ち資金が12億円でしたからあえなく倒産。在庫の怖さを身を持って知ったわけです。その後、ソニーがゲームに参入したことで、ゲームの仕入れ値が上昇、10本仕入れて2本残ったら赤字という商売になってしまい、卸問屋仲間から、在庫をどうにかしてくれないかと相談されたのです。倒産して業界に迷惑をかけたので、恩返しをしたい、在庫をうまいこと活性化できれば恩返しになると考えました」

 --2001年に今の会社を創業されました

 「お金は一銭もなかったので、友人から2000万円を借りて、マッチング事業を始めたのです。最初はファクスで全国の小売店などに在庫情報を案内しました。土曜日にファクスを送ると月火水曜日は返信されてくるファクスの山ができました」

 「ただ、電話やファクスだと案内する商品の数が限られるので、いちばん安い商品しか注文が来ない。そこで、ITシステム化しようと考え、儲けはすべてシステム開発につぎ込みました。業界では、『アホや』といわれまた。電話一本で済むのになんでそんなものに投資するのかというわけです。でも、任天堂が2012年に発売したゲーム機『wii U』のハードおよびソフトの売り上げが不振で、全国に約50社あった二次問屋がすべて倒産しました。当社は、このシステムのおかげで生き残れたのです」

 リーマン・ショックで貸し剥がし

 --2008年のリーマン・ショックの時も苦労された

 「当時は家電事業にも手を広げて売り上げが急増。株式上場の準備も進めていたのですが、一気に注文が減り、金融機関からは社債と借入金合わせて6億円を貸し剥がしされました。この商売はお金がいるのです。商品を見て、お金を借りて在庫を持つ。お金を返すには在庫を叩き売るしかない。また倒産かと暗然としましたが、何とか粘りました。当時売上高の7割を占めていた海外との取引を前金制にしていたので、その入金状況を見極めながら資金繰りすることができました」

 --これから再度、株式上場を目指される。

 「株式上場をキーワードにして、資金力と人材力を強化します。資金力をつけることで商材を増やします。商材を増やせば、その商材を扱うネットショップ業者や各ジャンルのバイヤーも増えます。われわれはあくまでもゲーム、カードといった専門的な商品を扱っていますので、それぞれの分野の目利き人材も必要です。また、顧客の匿名性を担保しているので、上場により、大手メーカーなどからの信用力が増します。資金力を上げて、もっと大きな倉庫を持つことができれば、商売の規模も大きくできます」

 「現在、新たな商材として、腕時計を扱う準備を進めています。さらに、まだ公表できませんが、大きな商売を見込める商材を検討中です。扱う商品や顧客層が限定されたスキマ産業ですが、商材を増やしていけば大手ネット業者に勝てる可能性もあると思っています」

【プロフィル】町田博(まちだ・ひろし) 1968年、鹿児島市立鹿児島商業高校卒、日本電信電話公社近畿電気通信局(現NTT西日本)入社。75年、大手現金問屋の日経を経て、83年、テレビゲーム卸問屋「光陽」を創業。99年、在庫マッチング業をスタートし、2001年、マチダを設立。06年、社名変更に伴い現職。鹿児島県出身、71歳。

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