リーダーの視点 鶴田東洋彦が聞く

日本財託・重吉勉社長(2)バブル前後を体験 原点は気づき

 --創業のきっかけは

 「高校生のころから、将来は東京に行って社長になるとの思いが自然と沸いてきた。大学生時代は起業に向けてアルバイトに精を出し、縁あって不動産会社に就職した。当時はバブル期で、優秀な先輩社員が多く、やがて金融機関の支援を受けて独立。運転手付きの車の他、クルーザーやヘリコプターでゴルフ場やリゾート地に行くというような誰もがもうかる、成功する時代だった。憧れであり、うらやましくもあり、『東京で社長になるという夢を早く実現したい』と強く思うようになり、バブル華やかなりしころの1990年10月、27歳で創業した」

 --まもなくしてバブルが崩壊した

 「(当時の大蔵省から金融機関に対し不動産向け融資の伸び率を総貸し出しの伸び率以下に抑える)総量規制でバブルが崩壊し、金融機関も手のひらを返すように相手にしてくれなくなった。まさに出鼻をくじかれた。独立した先輩の多くが不良債権を抱えるようになりつぶれた。当時は1000社ほどの不動産会社を知っていたが、そのうちの約95%は名前を聞かなくなった。私も1年早く創業していたら、今の日本財託はなかった」

 --生き残れた理由は

 「バブルが弾けると、土地を買い付けて開発した物件を売ったり、購入物件を転売したりしてもうける世界にいた会社はつぶれ、生き残ったのは賃貸管理に注力する会社だった。継続的に固定収入があるからで、バブル崩壊の影響を受けず逆に成長していった」

 --そこに注目した

 「不動産業の原点は管理と気づき、管理会社を目指すと決めた。不良債権処理の手伝い、つまり不良債権化した物件を安く購入してお客さまに安く売りながら管理も引き受ける。コツコツと管理戸数を積み上げていった。バブルの華々しい姿も、崩壊後の悲惨な状況も見てきた。不動産業は景気の波をもろにかぶる。その波をかぶらないのはストックビジネスである管理。固定収入が入ってくるので社員の給料を支払える。ただ管理で利益を出すまで10年かかった」

 --社長として大切にしていることは

 「普段から『笑い』を大切にしている。創業して30年が経過し、オーナー社長ということもあって、若い社員からは『雲の上の人』とみられてしまう。この距離を縮めるためもあるが、私の顔を見て社員が『元気、頑張ろう』という気持ちになれるよう心掛けている。社長というより『おもろいおっさん』。会うと自然と笑顔が出てくるおやじが理想像だ」

 --休暇の過ごし方は

 「体を動かすのが好きで、週末を利用してゴルフで汗を流しているほか、エアロバイクに毎朝乗って1時間ほどペダルをこいでいる。500キロカロリーほど消費するので下半身を鍛えるのにいい運動だ。東京マラソンには2009年に個人エントリーで出走し、11~19年は『チャリティランナー』枠を使って毎回、約40人の社員と走った」

 --座右の銘や好きな言葉は

 「(ユダヤ人の精神科医で心理学者の)ヴィクトール・フランクルの『態度価値』を意識している。第二次世界大戦中の独ナチスの強制収容所での体験を記した『夜と霧』を読むと、どんな状況に置かれても生き方、態度を変えないことの大切さを知る。大成功しても昔と変わらない態度で接し、ぶれないことが必要だ。傲慢にならず謙虚、感謝の気持ちを忘れてはいけない。このため『愚直に、謙虚に働き、感謝の心を忘れない』という言葉をスローガンに掲げ、日常的に活用している。『コツコツが勝つコツ』も大切にしている価値観で、日本財託グループの社員の合言葉だ」

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