高論卓説

今こそ必要な「将に将たる器」の条件 計算を超えた大きな決断できるか

 西川善文・三井住友銀行元頭取の近刊『仕事と人生』(講談社現代新書)を読んでみた。10年前の『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』と異なり、内容は仕事や人事の要諦に絞っている。(森一夫)

 西川氏は昨年他界しており、編集部が過去のインタビューに基づいてまとめたものという。なるほどと思う点もあり、触発されていろんなことを考えた。将に将たる器とは何かという問題もその一つである。

 第一章「評価される人」に、伊藤忠商事の瀬島龍三元会長の例が出てくる。戦時中、大本営の参謀だった人物だ。終戦後、シベリア抑留を経て、伊藤忠に入りさまざまなプロジェクトを指揮したことで知られる。

 仕事ができる人の資質として西川氏は、頭の中が整理されていて物事をシンプルに考えられることを挙げる。その点で、「瀬島龍三さんは舌を巻くほど見事だった」と評価する。

 石油ショック後に経営が行き詰まった安宅産業のメインバンクだった住友銀行(当時)は、安宅を伊藤忠と合併させて問題を処理した。西川氏は住友銀行側で、伊藤忠との交渉に携わり、伊藤忠の交渉責任者だった瀬島副社長のポイントを押さえた的確な対応にいたく感心した。

 だが伊藤忠が安宅との合併を最終的に決めたのは、瀬島氏ではなかった。当時会長の越後正一氏である。糸商だった伊藤忠を三井三菱と並ぶ総合商社に育てた実力者である。

 経緯を日経ビジネス(1988年6月6日号)の「有訓無訓」欄で、越後氏はこう語っている。「担当した2人の役員が一緒にやってきて、『伊藤忠にとってプラスにならないので、安宅の話から下りたい』と言うんです」。越後氏は驚き「『伊藤忠はえげつないから下りてくれ』と言われたら仕方ないが、向こうが何も言わんのに下りる手があるかいと叱り飛ばしました」という。

 社長時代、伊藤忠が倒産寸前に追い込まれたときに、住友銀行の堀田庄三頭取に救われた。越後氏は後任の戸崎誠喜社長に特に「この恩義を忘れんように」と申し送りしていた。恩義にそむけば信用を失うと考えていたからだ。

 安宅問題では、堀田氏から自宅に協力要請の電話を受けた。越後氏は「わかりました。昭和39(1964)年の恩を返します」と即答している。このため安宅の話から手を引きたいと言いにきた役員に、「君ら、何を考えとんのや」と怒ったわけだ。この叱られた役員は瀬島氏である。

 安宅との合併話は、不要な部分もある程度引き受けないとまとまらない。損得を計算してマイナスになる公算が大きいと判断して断ろうとしたのは、間違いではない。しかし越後氏には「恩義」を重視する別の物差しがあったのである。

 越後氏は昔、繊維相場で厳しい商戦を勝ち抜いてきており、リスク感覚は鋭い。だから冷静に物事を処理できる隙のない瀬島氏の手腕を買い、重要な案件を任せた。安宅との合併交渉でも責任者としてギリギリの交渉をさせ、最後は越後氏が決断した。結果的に伊藤忠は、しっかり得るものを得ている。

 瀬島氏も傑出した経営者だったが、その上に越後氏がいた。将に将たる器の条件はいろいろあるが、計算を超えた大きな決断を下せることが欠かせない。名経営者や成功した起業家には、意表をつく発想の持ち主が多い。今のような危機の時代にこそ望まれるリーダーの資質である。

【プロフィル】森一夫 もり・かずお ジャーナリスト。早大卒。1972年日本経済新聞社入社。産業部編集委員、論説副主幹、特別編集委員などを経て2013年退職。著書は『日本の経営』(日本経済新聞社)、『中村邦夫「幸之助神話」を壊した男』(同)など。

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