金融

全ての権限は個人にある アメリカ、不完全な統治機構の根底 (1/2ページ)

 【久保田勇夫の一筆両断 金融から世界が見える日本が見える】アメリカとは何か(2)

 前回言及した私の「アメリカ異質論」の源は私の大学時代に遡(さかのぼ)る。

 1962年4月、私は東京大学に入学した。当時、大学4年間のうち2年間は駒場の教養学部で過ごし、後半の2年間は本郷の法学部で過ごすことになっていた。ただ、法学部の1部の科目の講義は、2年生の後半から開始されることとなっていたし、「ゼミ」への参加の機会も与えられることになっていた。私は、後に亜細亜大学学長を務めることとなる教養学部の衞藤瀋吉教授の「政治思想史」(だったと思う)に入ることを希望し、63年4月にその参加者を選別するためのオリエンテーションに参加した。

 募集要項のチラシには法学部へ進学予定の学生も参加可能と書いてあったが、衞藤教授は「法学部の学生はどうせ役人になるので、こういうことを教えても無駄だからゼミには採らないことにした」と言う。それなら最初から言ってほしいところである。そうは言いながらも、同教授はゼミで使う予定の本のリーディング・リストを全員に配った。全体で30冊程度だったと思う。私はそう言うのなら、自分でこのリストに掲げられている本を片っ端から読んでやろうと考え、リストアップされている本を、なるべく系統立てて読むことにした。そのとき買った本の多くは今も手元にある。浪人時代にほとんど本から遠ざかっていたことによる読書に対する飢餓感が1年後も続いていたのであろう、私は今考えると驚くべきスピードでこれらの本を読んだ。多くは読了した63年の日付がついており、ところどころに傍線があり、コメントも残っている。

 「権利のための闘争」(イェーリング)=(4月26日)

 「帝国主義論上」(ホブソン)=(4月30日)

 「実践論・矛盾論」(毛沢東)=(5月1日)

 「帝国主義論下」(ホブソン)=(5月7日)

 「帝国主義」(レーニン)=(5月11日)

 「君主論」(マキャベリ)=(5月14日)

 「文芸講和」(毛沢東)=(5月16日)

 「コモン・センス」(トーマス・ペイン)=(5月20日)

 といった具合である。

 手元にはないが、「金融資本論」(ヒルファーディング)、「菊と刀」(ベネディクト)、「職業としての学問」(マックスウェーバー)、「共産党宣言」、「タテ社会の日本」(中根千枝)も読んだ。「世界憲法集」(宮沢俊義編)や「論語」なども書棚に並んでいる。

 「政府は必要悪」

 この中の「コモン・センス」は、アメリカ革命の動因の一つといわれる書である。著者のトーマス・ペインはイギリス人で、さまざまな職業に就いて努力したがうまくいかず、アメリカに渡って独立運動を指導した人物である。当時のイギリスの制度がいかに不合理であるかが、具体的に、かなり激烈な調子で書かれており、国家、公に対する不信感が渦巻いている。

 上記の「世界憲法集」に収められている「アメリカ合衆国憲法」についての斉藤眞氏(後に東大教授)の解説は、憲法を中心とした米国の公的制度の仕組みについて次のように述べている。「この憲法は、『保守派』と『急進派』との妥協、言いかえれば権力への強化統合への直接的要請と権力への伝統的不信感の妥協の産物であった。つまり、現実の支配の要請と、『政府は必要悪』という古典的市民社会の理念との複雑な化合物なのである」

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