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コロナ禍で再注目、カミュの名作「ペスト」70年ぶり新訳 詳細な解説と注釈も

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて世界中で再び注目された仏作家、アルベール・カミュ(1913~60年)による長編小説『ペスト』。

 125万部のロングセラーとなった新潮文庫版(昭和44年刊)の基となった宮崎嶺雄訳の単行本が25年に刊行されてから約70年の時を経て、岩波文庫から新しい邦訳が出た。新訳を手がけた三野博司・奈良女子大名誉教授(フランス文学)に、この名作の持つ普遍性について聞いた。

 約70年ぶりとなる。6年前に勤め先の大学を定年退職した三野さんは、その後も研究対象だったカミュの作品全般をこつこつ訳し続けていたという。そこへコロナ禍が重なり、すでに下訳ができていた『ペスト』の出版が決まった。「細部の描写に驚くほどコロナ禍と重なる部分がある。訳しながら、作品世界が現実化したような感じを受けた」と三野さんは振り返る。

 物語の舞台は1940年年代、アルジェリアの都市オラン。医師のリユーが1匹のネズミの死骸を見つけるところから事態は動く。やがて町にペストが蔓延(まんえん)していることが判明し、外部との交通は遮断される。愛する人との別離があり、死者の数も日ごとに増える。恐怖と不安。深い苦悩と孤独。隔離された町を覆う異様な緊張感が、医師や新聞記者、市職員、神父ら、多様な人物の対話と内面描写を交えて、すくい上げられる。一方で、人と人とを分断する疫病との1年弱に及ぶ闘いを通して、芽生えてくる友情と連帯というほのかな希望もつづられる。

 描かれている感染症との闘いには、カミュが生きた第2次大戦下のナチス・ドイツ占領下のパリのレジスタンス(抵抗運動)が重ねられている。

 「まず根底にあるのは自身の戦争体験。それを感染症との戦いに置き換えて寓意的な作品にした。それらを束ねるものとして、人間を襲う暴力的で不条理な力との闘いという主題があるわけです。これはどの時代、地球のどこでも起こり得る。この小説は東日本大震災の後も改めて読み直されたんですよね」

 新訳には背景の理解を助ける膨大な注釈や写真、オランの町の手書きの地図も付している。50ページを超える解説では、カミュの人生を概観。当時の仏で3カ月で10万部近いベストセラーとなったことへの作家自身の心境も紹介している。

 「語ること」「記録すること」をめぐる物語でもあるこの小説の、ゆったりと落ち着いた原文のトーンを再現することに最も心を砕いたという。

 「カミュの代表作『異邦人』の3倍ほどの長さなので途中で挫折する人もいると聞く。この小説は最後まで読むことで感動が深まるので、前へ前へと読み進める明快な訳文を心がけた。人物関係がつかみやすいように、原文で『彼』などとある呼称を、できるだけ固有名に変えて訳している」

 現代の古典だけに、印象的な言葉に満ちている。疫病との闘いを〈果てしなく続く敗北です〉と認めるリユーの乾いた認識。それでも〈ペストと闘う唯一の方法、それは誠実さなんだ〉〈ぼくの場合には自分の職務を果たすこと〉と語る不屈さ…。「『果てしなく続く敗北』であっても闘いはその後も受け継がれる。文学は人に直接的な救いは与えられないかもしれない。ただ、災禍の中で人が何を考え、どう振る舞ったのか? その理解を深めるだけでも生きる上での支えになるのではないでしょうか」

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